日本工芸探訪~ルポルタージュ~

2018年11月15日

強さとはしなやかさ。関鍛冶に学ぶ「日本刀ができるまで」

「鍛錬する」「相槌を打つ」「しのぎを削る」「切羽詰まる」「太刀打ちできない」「目抜き通り」など。今も、私たちが日常的に使うこれらの言葉のルーツは刀剣にあります。それほどまでに、刀剣と日本人は深い関係にあったということが伺えます。

武士が政治の実権を握った江戸時代が終わり、廃刀令が出て140年余り。第二次世界大戦後には、連合国軍最高司令官総司令部による刀剣類の接収という憂き目にも遭いました。紆余曲折を経て、刀剣はいま、美術品として受け継がれています。

「日本刀は殺りくの道具だと敬遠されがちです。しかし、”守り刀”と呼ばれるように、もともとは、精神的なよりどころでした。また、神仏や貴人に捧げる宝物でもありました」と語るのは、700年以上の伝統を持つ、刃物のまち、岐阜県関市の刀匠・吉田研さん。

今回は、吉田さんの工房で体験取材し、刀剣づくりについて学んできました。

その工程からは、日本に受け継がれてきた文化や、日本人の精神性が見えてくるようです。

刀剣の材料・玉鋼から、日本の製鉄文化が見えてくる

たたら製鉄により生み出される、良質鉧(玉鋼)が日本刀の原料となる。

玉鋼の原料は、おもに山陰の出雲地方でとれる真砂(まさ)砂鉄です。『古事記』や『日本書紀』にあるヤマタノオロチ伝説で、スサノオがヤマタノオロチを草薙の剣で退治したのが出雲とされているように、この地は古くから良質な鉄の産地として知られていました。

日本の鉄づくりのルーツは、ここ出雲の「たたら製鉄」にあります。スタジオジブリの映画『もののけ姫』で、その様子が描かれていました。たたら場の女たちが足で踏んでいたのは、“踏みふいご”という送風装置です。“たたら”とは、元々“ふいご”を表わす言葉だったといわれています。

「たたら製鉄では、木炭を使って砂鉄を低温還元することで、純度の高い鉄ができます。その中でもさらに良質な部分“玉鋼”だけを使って日本刀はつくられます。

鉄鉱石とコークスを使い高温で大量生産された洋鋼は、日本刀の原料として認められていません。たたら製鉄による和鋼の鉧(玉鋼)を使用したものだけが日本刀を名乗れるのです」(吉田さん)。

しかし、その玉鋼も、昔と同じものはできないといいます。

「科学が進歩した今の技術でも、鎌倉・平安時代のような粘りのある玉鋼はできません。法隆寺が今の技術でも再現できないのと同じ事です」(吉田さん)。

「折れず、曲がらず、よく切れる」刀剣ができるまで

日本刀の作成や鑑賞においては、一に姿、二に地鉄、三に刃紋といわれる。
刃紋とは、刀身に見られる波模様のこと。

こうしてつくられた玉鋼を熱し、厚さ3~6mmの板状にし、それを小さく割って選別し、積み重ねて約1300度に加熱します。この一連の作業を“積み沸かし”といいます。

積み沸かしが終わったら、いよいよ“鍛錬”です。

火炉の前に座る“横座”が、鉄を叩いて火をおこし、火炉で玉鋼を沸かし(熱し)ます。約1300度に沸いたら、“横座”がカンカンと小槌を鳴らして合図を出します。この合図が“相槌”です。


ふいごで火力を調整しながら、積み沸かしをしていく。


積み沸かしを終えて、この後、鍛錬の工程に移る。

“相槌”が打たれると、大槌を持った“先手”が歩み寄り、鋼を槌で打ち、不純物を取り除いていきます。槌を打った時に飛び散る火花は不純物です。


“横座”をつとめるのは息子の政也さん。

“横座”と“先手”が交互に、リズミカルに鋼を打ち、叩いては折り返し、叩いては折り返しという作業を繰り返すこと約10~20回。途中、“横座”が “先手”に“相槌”で指示を出しながら、槌を打つ強さや速さを調整しながら鍛錬し、しなやかで強い刃物をつくります。

「鍛錬は、鋼を硬くすることと思われがちですが、そうではありません。ただ硬いだけの刀は、圧を受けたら折れてしまいます。

西洋の場合、盾と矛を持って戦いましたが、日本の場合は刀剣1本で攻防を行います。刃で攻撃し、しのぎ(刃と峰の間で稜線を高くした部分)で防御をしました。そのため、攻撃を受けても折れないよう、しなやかさが求められたのです。

ちなみに、「しのぎを削る」という言葉がありますが、これは、実力の似た者同士が、しのぎが削れるほど激しい攻防をしている様からきた言葉とされています。

なお、”折れず、曲がらず、よく切れる“と称される、関の刃物にはつくり込みに特徴があるといいます。芯を柔らかく、両側面をやや硬く、棟(背の部分)を硬く、刃を粘り強く、“四方詰め”という構造になっています。

刀剣づくりは名刀への挑戦。世に出せる作品は10本に3本程度


「刀身幅と反りが鑑賞のポイント」と吉田さん。

「刀づくりは“炭切り3年、火づくり5年、沸かし一生”といわれるほど大変なことですが、だからこそやりがいがあります」(吉田さん)。

炭切りとは、鋼を熱する藁灰をつくること。火づくりとは、刀を整形すること。沸かしというのは、玉鋼を熱で溶かすことを指します。沸かしは、作業する場所やその日の気候など環境によって変化するため、長年の経験と職人の感性が求められます。


刀剣には茎(ナカゴ)に製作者名、年紀等が刻銘されている。

吉田さんは、半年でだいたい10本の刀を手がけますが、そのうち、世に出せるのは3本程度だといいます。

「現代刀は、過去の名刀の写しです。そこにいかに近づけるかなんですよね。私は60点を及第点とし、せいぜいよくできても70点です。60点に満たないものは、0点と同じですよね。一瞬で0点になることもあります。

日々、100点を目指しながらも、決して到達できることはないですね。一生のうちに75点取れる刀ができればよいかなと思っています」(吉田さん)。

 

吉田さんは、「日本刀の文化をもっと多くの人に知ってもらいたい」と、刀匠として刀づくりに携わる傍ら、日本全国さらには海外まで飛び回り、鍛錬の実演を行うなど、刀の文化を伝える活動にも精力的に取り組んでいます。

工房でも積極的に見学や体験を受け入れているので、興味のある方はぜひ、訪れてみてください(要事前予約)。

取材協力:吉田研さん(鍛治田刀剣
関伝日本刀鍛錬技術保存会 刀匠部会長

撮影:櫻堂(諏訪貴宏)

職人圖鑑編集部

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