佐賀県唐津市呼子。イカ漁で有名な呼子港からおよそ500m沖、青く広がる玄界灘に加部島という小さな島が浮かんでいます。唐津市街からは、車で約30分。ハープのような形が美しい呼子大橋を渡れば、そこには畑や田んぼ、放牧地など、のどかな風景が広がります。
その間を突き抜けるように延びる細い農道を通り抜けてしばらく走らせると、小高い丘の上に小さな工場があります。中から、カンカンカンと、甲高く澄んだ音が聞こえてきました。覗いてみると、2人の男性が、槌を持って黙々と作業を続けています。
表の看板には「向刃物製作所」。作業をしていたのは、名人と名高い包丁職人・向米雄さんと、その息子である俊征さんです。
銘「玄海正国」――。
ミシュランの星付の和食店や寿司店など、一流の料理人も探し求める名刀中の名刀の包丁はこの工場でつくられています。
堺に修業に出て、独立して所帯を持つが、望郷の念から一家で加部島に移住
佐賀県唐津市呼子加部島の小高い丘の上にある向刃物製作所。
この日は曇り。晴れていれば、真っ青な玄界灘と空が広がる美しい景観。
加部島で生まれた米雄さんがこの道に入ったのは15歳の時でした。最初は、呼子の野鍛冶の師匠に弟子入りしたそうです。野鍛冶とは、農具や漁具、山林刃物を専門とする鍛冶です。
海女が漁に使う道具。農具や漁具、山林刃物も手がける。
5年近く修業した後、「腕を磨きたい」と、刃物の本場である大阪・堺に修業に出て、本焼きの技術を修得しました。修業先は、奥様のご実家である小林刃物。
本焼きの技術は、自分で、仕事の合間に試行錯誤を繰り返して探求していきました。最初は、油焼きで練習していたそうです。そんな時、運良く、水本焼きの包丁を初めて完成させたという、伝説的な刀工・沖芝正国が修業先の作業場を借りに来きました。その時に見聞きしたことが完成の糸口になったそうです。
ちなみに、「玄海正国」の「正国」は、沖芝正国の名からとったという説がありますが、本当の由来は、玄海育ちなので「玄海」、呼子の野鍛冶の親方の名から「正国」としたそうです。
米雄さんは堺で所帯を持ち、子どもも生まれました。俊征さんは、堺生まれです。
しかし、米雄さんは故郷である加部島に帰りたいと、一家揃って移住することに。平成4年のことでした。自分たちで高台を切り開き、この島の鍛冶屋をつくりました。以来、この場所で27年、生業を続けています。
水本焼和包丁をつくれる職人は数えるほどしかいない。
焼き入れの前に、焼きムラがないように泥を塗る。玄海正国といえば、「富士山満月」「三本杉」の刃紋。
焼きを入れないところには泥を厚く、入れる部分には薄く塗って、焼き入れを行う。
「向刃物製作所」は水本焼包丁を専門としています。水本焼きとは、水で焼き入れする本焼きのこと。まず、一般的な包丁は、軟鉄と鋼を溶接してつくりますが、本焼き包丁は、一枚鋼からつくります。そのため、繊細で高度な技術が必要とされます。
焼き入れとは、包丁の形をつくった後、最後に、炉に入れて熱し、一気に冷ます工程です。焼き入れをすると、刃物は硬く鋭くなります。ほとんどの包丁は、その冷却に油を使う油焼きをしたものですが、玄海正国は冷却に水を使います。水の方が、より切れ味が鋭くなるからです。しかし、製作途中で割れてしまったり、加減がとても難しく、職人の技量が問われます。難易度が非常に高く、世界でも数えるほどの職人しかできないそうです。
熟練の職人技に思わず息を飲む。水本焼和包丁ができるまで。
一片の鋼から一本の包丁を成形する。型抜きや溶接は一切しない。
工場で、鍛造して形を整えていく工程を見せていただきました。まずは、1片の鋼を松炭やコークスを燃料にくべた炉に鋼を入れて熱しては電動の金槌で叩き、また熱しては叩き、包丁の形に成形していきます。鋼は、日立金属の安来鋼を使っているそうです。
鋼を熱して成形していく。「真っ赤になるまで熱すると伸びるのは早いんだけどね。
最後に、焼き入れする時にダメになってしまう。ゆっくり熱しないと。油断できないんです」と、米雄さん。
熱しては叩きという作業を繰り返しながら、だんだんと形ができていきます。カンカン感と心地よいリズム、小気味よく動く米雄さんの美しい手さばきに、思わず見とれてしまいました。
鋼を熱しながら、金槌で叩き、包丁の形に成形していきます。
叩いては熱して、叩いては熱しての繰り返しです。
そして、形ができてきたら、水に入れて冷まして、また加熱しては冷まして…。鍛錬していきます。ここで、包丁が硬くなるのですが、同時にもろくなるため、ねばりを出すために、最後に低温で焼いて、灰に埋めて緩やかに冷まします。
「ちょっとした火加減の差で、割れたり、折れたりするんですよ。だから、1本納品するために、同時に2~3本鍛えるんです」と俊征さん。だから、時間もかかり、高価になってしまいます。
米雄さんが、パーンと2本の包丁を割って、断面を見せてくれました。1つは、とてもなめらかで、もう1つはざらざらとしています。後者は商品になりません。火加減を見誤り粒子が荒くなってしまっています。
その後、荒たたきという作業をします。冷めた生地を金槌で叩き、より分子を細かくすることで切れ味が増すそうです。
荒たたきをする俊征さん。金槌の重さはなんと2kg。
同じく、荒たたきをする米雄さん。包丁の歪みを調整しながら、何度も確認しながら叩きます。
その後、研ぎの作業に入っていきます。砥石で荒研ぎし、バフをあてて目を細かくします。さらに、木の型に生地をはめて、大量の水を流しながらグラインダーで本研ぎして刃付けをし、裏研ぎや木研あてなどを経て美しい生地ができあがります。
大量の水を流しながら刃を研ぎ、刃付けをしているところ。
正面の壁が鍾乳洞のように見えるが、削れた鋼が付着し、何年も経つうちに盛り上がってきたという。
堺の包丁は分業制。職人が減る中、1本の包丁をつくるのが困難に
「富士山満月」の水本焼包丁の生地。
包丁は分業でつくられています。最初の工程が鍛冶、次が研ぎ、最後が柄付けです。向刃物製作所は、鍛冶を担い、できた生地を問屋に卸します。問屋で研ぎや柄付を手配して、販売するのです。なお、問屋に卸した包丁は、中子という柄に差し込んでいる部分に「玄海正国」の銘が刻印されています。隠れているため、一見、玄海正国とはわかりません。ごくごく一部、工場で直販するもののみ包丁裏に刻印が入っています。
「玄海正国」には、日本一の刃付け職人と名高い堺源伯鳳の研ぎと磨きが欠かせませんでした。しかし、残念なことに、堺源伯鳳氏は、今年3月に、亡くなられてしまったそうです。
「漫才コンビと同じです。相方が倒れたらどうしようもないんです」と、俊征さんは少し悲しそうに話されます。残念なことに、鍛冶も、研ぎも、柄付けも、職人も減っているそうです。そのため、生地をつくっても商品として完成せず、販売できないこともあります。
この小さな島の鍛冶屋には、日本各地、さらには海外からも、名刀を求め料理人たちが訪れるといいます。ただ、すべて手仕事で、研ぎや柄付けができないこともあり、販売できるのはごくまれなのだそうです。
包丁を使う、料理人から見た玄海正国の魅力を知りたくなり、俊征さんにご紹介いただき、玄海正国の包丁を愛用する方にお話をうかがうことが叶いました。
東京にある創業90年の老舗蒲焼専門店「鰻のまこと」の三代目・辻木健さんです。玄海正国の江戸サキ包丁を愛用されています。江戸サキとは、江戸の鰻包丁のこと。鰻のさばき方は地方により違い、包丁も地方ごとに、江戸サキ、名古屋サキ、京サキ、大阪サキ、九州サキなどを使うのです。
辻木さんは「玄海正国は、バランスが絶妙で驚くほど静かに切れます。何より、体の一部のようにしっくりくる」といいます。
さて、このお話は、次回の記事で詳しくご紹介することにしましょう。
取材協力:向刃物製作所
写真:諏訪貴洋(櫻堂)