思わず目を細めてしまうほど愛らしい唐子たちがいきいきと遊び回るうつわ。
艶めかしい白磁に藍色の唐草文と緑がかった赤の蓮華が染め付けられた、上品で温もりを感じるうつわ。
長崎県の三川内皿山にある「五光窯・平戸藤祥」の陶画家・藤本江里子さんの作品は、繊細でいてどこか優しい雰囲気をまとった絵付け・染め付けで、心にぽっと温かいものを残してくれます。
「五光窯・平戸藤祥」では、おもに、藤本岳英さんがろくろを妻の江里子さんが絵付け・染め付けをしています。お二人の高い技術と豊かな感性があってこそのうつわです。
全2回に渡ってお届けする「五光窯・平戸藤祥」のお話。今回は、江里子さんによる絵付け・染め付けの魅力に迫ります。
実は平戸藩のゆるキャラだった!? 藩の献上品・贈答品として生まれた唐子絵
「五光窯・平戸藤祥」の陶画家・藤本江里子さん。三川内皿山の展示場にて。
江戸時代、三川内皿山では藩の御用窯として、朝廷や幕府への献上品、海外の要人への贈答品としてやきものをつくっていました。
三川内焼といえば、白磁に呉須という染料による青い染め付けで、中国風の服装や髪型をした子ども「唐子」が描かれているのが特徴的です。なぜ、唐子が描かれるようになったかといえば、「ある時、平戸藩のお殿様から“これぞ、平戸”という柄をデザインするように狩野派の絵師に命じて誕生したといわれています。他藩ではこの絵を描かないようにお達しが出たのだとか。今でいうところの、ご当地ゆるキャラですね」と江里子さんはユーモラスな例えで教えてくれました。
山水に遊ぶ3人の唐子。
松に牡丹を背景に、唐子が蝶々を追いかけるのが伝統的な献上唐子です。七人唐子が朝廷や将軍家への御献上品で、五人唐子は公家や大名用、三人唐子は一般庶民用とされています。「最初は人数に縛りはなかったのですが、いつの頃かそう言われるようになったようで」(江里子さん)。
色が付いた唐子柄のうつわもありました。色が付いたものは珍しく、新しいデザインかとうかがうと、実は、江戸時代からあったものだといいます。
色が付いた唐子絵の小皿。
「お殿様が自分用につくったものに色がついていました。平戸城と長崎歴史文化博物館、佐世保市の蔵元・本陣さんに現存しています。色絵の具は高価だったので、倹約令が出た時に色を付いたものはつくらなように、とお達しがでました。そんな時代に、平戸藩のお殿様は自分用にそっと色を付けたものをつくらせたようです。
将軍家への献上品にも色を付けたものを出し、叱責を受けたそうですが、『赤は使っていません』と答えて切り抜けたという逸話が残っています。赤はもっとも高価な色だったんですよね。一筋縄ではいかないお殿様だったようですね」(江里子さん)。
唐子は妖精のようなもの。江里子さんがデザインした新しい唐子たち
天正少年使節団の子どもたちを唐子に。ステンドグラスのような色で、エキゾチックな雰囲気。
異国情緒漂う唐子もいました。楽器を持った子どもたちが楽しそうに演奏する姿が描かれています。
「天正少年使節団を唐子にして、ステンドグラスのようにデザインしてオランダっぽい雰囲気を出しました。彼らは、島原のセミナリオでラテン語、医学、さらには楽器、ダンスも修得して、とても優秀な子ども達だったそうですよ。帰国後、太閤・秀吉の前で西洋の楽器を使って演奏し、その素晴らしさに、秀吉が3回アンコールをしたと伝わっています。その場面をイメージして描いたものです」(江里子さん)。
絵本の中から飛び出してきたような、洋風の唐子もいます。まだまだ、描きはじめたばかりで、今後、どう展開していくのか、江里子さん自身も楽しみだといいます。
絵本から飛び出してきたような可愛らしい唐子。
他にも、博多どんたくの時に注文がきたという、ふんどし姿の唐子。七福神の姿で宝船に乗った唐子、おひな様になった唐子…、いろんな唐子がいます。
博多どんたくに合わせてつくられたふんどし姿の唐子。
葛飾北斎が描いたという、宝船に乗った唐子を三川内焼で再現。玄関に飾ると福を呼ぶ縁起物。
「唐子というと中国の稚児だと言いますが、私にとっては唐子というよりも妖精ちゃんというイメージです。男の子でも女の子でもないし、国籍もないし。この辺りも田舎なので、山に行くと『もののけ姫』に出てくるこだまのようなものがいるような気がするんですよね。そういう表現をしたいなと常々思っています。これから、また違う唐子のアイデアが出てくるかもしれません。唐子はライフワークにしたいですね」(江里子さん)。
緑がかった赤に温もりを感じる「青花釉裏紅」のうつわ
三川内焼の技術による青花釉裏紅。温潤(おんじゅん)と称されるように温もりを感じる。
白磁に藍色の唐草文と緑がかった赤の蓮華が染め付けられたうつわ。これは「青花釉裏紅」という技法でつけられています。有田焼の赤は上絵で、焼き上げたものに絵付けをしています。対して、「青花釉裏紅」の赤は焼き上げる前に染め付けして、釉薬をかけて焼くことで化学変化を起こして赤を出します。これにより「桃花紅」と呼ばれて珍重される、緑がかった赤になります。それに、「青花」という藍色を合わせるのです。
青花釉裏紅の技法でつくられたスープマグ。緑がかった赤が優しい印象。
「クリアな赤もいいですが、私はこのふわっとした赤が好きです。温もりがあって、寒い地方の方におすすめしたいですね」(江里子さん)。
難しい技法のため、あまり挑戦する人はいないといいます。
「日本で釉裏紅をはじめたのは明治以降といわれていますが、残念なことにあまりうまくいかなかったといいます。色を出すのが難しいんです。やきものには酸化炎・中性炎・還元炎という3種類の焼き方があり、青花釉裏紅は還元炎で焼いて赤を出します。
酸化炎で焼くとアイボリーになるんですよ。失敗すると赤にならず、緑になってしまうこともあります。赤と青を同時に発色することも難しいですね」と岳英さんが教えてくれました。
西洋絵具を使った、三川内焼らしい金襴手
金襴手という手法で卵殻手のカップに絵付けしたもの。
赤絵の上に金彩で色を付ける「金襴手」。海外で好まれるデザインのため、有田や九谷、薩摩、京都なども、昔から輸出品としてつくっています。
三川内の特徴は、西洋絵具を使っていること。これはマイセンと同じ技法です。有田や九谷に見られるような和絵具による絵付けのように表面があまり盛り上がっていません。また、ピンクやブルーを使うのも三川内の特徴だそうです。最近では、ほかの材料でピンクを出せるようになっていますが、その昔、ピンクは金で出していたため貴重で高価なものでした。
「五光窯・平戸藤祥」に残る、三川内焼による金襴手の皿。明治初期のもので、明治9年のフィラデルフィア万博に向けての習作と伝えられています。
「あるところの貴賓室で、有田焼の生地に三川内のペインターが絵付けした金襴手を目にしました。昔から、こういう絵柄は三川内が得意だったんでしょうね。
赤の上に金をつけるという技法は全国にありますが、今では、三川内にこの絵付けをする人がいないので、何とか過去のものを見ながら描いています。草花をつけて黒をポイントに書くように意識していますね。そうするとキリッとするんです。
今、描いているものは、割と昔からあるものに倣っているので、将来的には、これをもっと三川内らしくアレンジしていけたらと思っています」(江里子さん)。
割らないようにそっと。わずか1mmのうつわ「卵殻手」への染め付け
卵殻手海唐子絵珈琲碗皿。
「五光窯・平戸藤祥」の「卵殻手海唐子絵珈琲碗皿」は、スウェーデン国王王妃両陛下に献上されています。卵殻手とは、絵柄が透けて見えるほど薄い、卵の殻のように薄い磁器です。その技術は一時、失われてしまいましたが、「五光窯・平戸藤祥」が復興しました。
「スウェーデン王妃がやきものがお好きだということもあり、長崎県知事から卵殻手を長崎県から差し上げたいというお話をいただいきました。その時に描いたのが、海辺に遊ぶ七人の唐子を描いた“海唐子”です。スウェーデンはリアス式海岸で知られていますし、長崎も海の街ですからね」(江里子さん)。
卵殻手に染め付けをするのはとても大変です。絵付けは、焼き上げた後に絵を付けますが、染め付けは焼く前に色柄を付けなければなりません。釉薬をつける前のため、仕上がりよりも1/3の薄さです。失敗した卵殻手の生地を割らせてもらいましたが、本当に、卵の殻のようにはかなくて驚きました。
卵殻手の生地。卵の殻のように薄く、少し力を入れただけで割れる。
「卵殻手の染め付けは本当に緊張します。生地をつくるのにとても手間暇がかかっているんです。絵を付ける時にカリンといったらそれまでの苦労が水の泡になってしまいます」(江里子さん)。
三川内をはじめ、日本や世界の陶器の歴史に学び、過去に挑みながら、新たな三川内焼をつくりだす「五光窯・平戸藤祥」。その技術や探究心に驚かされっぱなしでした。
そして、何よりも、江里子さんが、とても優しい笑顔で楽しそうに唐子のことを語ってくれた姿が印象的でした。お話をしていると、作品を見ている時のように、ぽっと温かいものが心に灯るのでした。
次回は、夫であり陶工である藤本岳英さんのお話です。卵殻手をはじめ、過去のさまざまな技法を復興されて、新しい表現に挑み続けています。お楽しみに。
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