佐賀県唐津市呼子、玄界灘に浮かぶ小さな島・加部島にある「向刃物製作所」。名人と名高い包丁職人・向米雄さんと、その息子である俊征さんが営む鍛冶屋さんです。銘は「玄海正国」――。本焼水焼包丁の最高峰と名高い名刀包丁です。
先日、職人圖鑑編集部では、「向刃物製作所」を訪れ、向さん親子に取材してきました(記事はこちら)。その中で、実際に、「玄海正国」を使っている方に話を伺ってみたくなり、一人の料理人をご紹介いただきました。
鰻を捌く辻木健さん。(写真提供:鰻のまこと)
伝統の江戸前蒲焼をつくり続ける老舗の三代目・辻木健さんです。昭和3年、東京府北豊島郡大泉にて、初代「割烹初音」創業。昭和34年に保谷市(現・西東京市)に移転して、「鰻のまこと」として、現在、伝統の技を引き継いでいます。
今回は、辻木さんに、「玄海正国」の魅力を語っていただきました。
鰻の活け締めに欠かせない、玄海正国の江戸サキ包丁
玄海正国の江戸サキで鰻を捌く。
「鰻のまこと」は持ち帰り専門の蒲焼店。お客さんが持ち帰って、食卓に並んだ時に、最高の状態になるように、鰻の捌き方から切り込み、串の打ち方、タレの調整、焼いた後の温度管理まで、すべてを計算し尽くして蒲焼をつくっています。「持ち帰りの鰻の蒲焼はごまかしがききません。そのために、新しい技法も取り入れています」(辻木さん)。
江戸前の蒲焼は焦げ目を付けず、べっ甲色に仕上げるのが流儀。
持ち帰りの蒲焼は四方八方から見られるため、見た目にもこだわります。串も焦がさない徹底ぶりに脱帽。
使用する鰻は厳選された「鹿児島大隅産うなぎ」のみ。産地問屋さんより、直接、活鰻を空輸してもらっています。仕入れた鰻を泳がせておく生け簀には地下25mから組み上げた地下水を使っています。開業にあたり、良質な地下水が豊富な立地を選んで店を出したというから驚きです。「最高の状態の活鰻を使わないと、最高の蒲焼はできません」と辻木さん。
「一般的には、鰻が暴れないように氷で鈍くさせてから捌きますが、当店では、氷投入は一切せず、鰻が一番元気な状態で、明治の頃からの技法を用いて、活け締めで捌きます。うちの蒲焼は、すごく縮むんです。活け締めで身が活きている証拠です」(辻木さん)。
鰻を捌いている様子を見せていただきました。的確に、一箇所の急所を狙い、鮮やかな手さばきで鰻が裂かれていきます。包丁がまるで、辻木さんの体の一部のように、自在に動いている様に思わず見とれてしまいました。
この包丁が、「玄海正国」の水焼本焼の江戸サキ包丁です。
【解説】水焼本焼きとは?
一般的な包丁は、軟鉄と鋼を溶接してつくるのに対して、本焼包丁は、一枚鋼からつくります。その中でも、焼き入れの方法によって、水焼きと油焼きに分けられます。
焼き入れとは、最後に炉に入れて熱し、一気に冷まして刃の切れ味を鋭くする工程のこと。この時、油で冷却するのが油焼き、水で冷却するのが水焼きです。高度な技術が必要とされる本焼きの中でも、水焼きはさらに高度な技術が要求されます。加減を間違えれば、たちまち割れてしまうのです。【解説】江戸サキ包丁とは?
江戸サキ包丁とは、江戸の鰻職人が使う包丁のこと。東京は背開き、関西は腹開きなど、鰻の捌き方や調理法は地方によって違うため、使う包丁も江戸サキ、名古屋サキ、京サキ、大阪サキ、九州サキなど地方によって異なります。
「玄海正国」の包丁は体の一部。手で触ったかのような感触さえ伝わる
辻木さんが愛用する江戸サキ包丁。(写真提供:鰻のまこと)
「この江戸サキ包丁は、自分の体の一部です。他の包丁とはまるで違う感覚です。他の包丁は重さが先寄りであることが多いのですが、向さんの包丁は手前寄りにある感じがします。驚くほどバランスが良く、重さが感じられません。手で触ったかのような感触が伝わります。
静かによく切れる。刃も止まらない。切れるというか、もっと上のところにある感じです。向さんの玄海正国を使ったら、他の包丁はもう使えません。
包丁の切れ味とは、素材の艶を出すと同時に、細胞を潰さず、旨みをドリップ(抽出)させないこと。切れと味は直結します。例えば、角の立つ刺身は、見た目もきれいで美味しいです。鰻の蒲焼にもまったく同じ事がいえます」(辻木さん)。
職人と職人の真剣勝負。一流の職人しか扱えない名刀包丁
唐津市呼子加部島にある「向刃物製作所」。ここで「玄海正国」がつくられている。
辻木さんが「玄海正国」と出会ったのは、およそ1年前のこと。本焼の江戸サキ包丁を探している時に、水焼本焼の「玄海正国」という名刀があることを知りました。
「何度もやりとりを重ねて、お会いできることになりました。加部島の製作所を訪ねたのですが、そこでは、いろんな話をしました。日常の他愛のない話から、仕事に対する考え方まで。そして、この玄海正国、水焼本焼江戸サキ包丁を手に入れる事ができました」(辻木さん)。
向刃物製作所では、包丁の生地をつくっていて、そのほとんどを問屋に卸しています。直売するのは、現地での対面販売のみ。玄海正国はプロの料理人が使う包丁が中心で、扱いが難しいためです。
「水本焼は繊細です。受けるのは、傷のない木のまな板でなければダメ。うちは、自分でかんなをかけています。プロにしか販売されないのは、プロでしか扱えないからです」(辻木さん)。
手入れも然り。
「砥石も揃えて、包丁によって使い分けています。包丁を研ぎながら、砥石もまっすぐ平らに直さねばなりません。研ぎが3とすると、直しが7。
水本焼は砥石乗りがよいです。油焼と決定的に違うところですね。油焼きはベタ研ぎすると刃先が荒れるので糸引き刃にしますが、玄海正国さんの水本焼は刃が乱れません」(辻木さん)。
最高級の砥石といわれる正本山など、天然から人工まで多種多様の砥石。右2つは戦中の満州呉砥石。
名人と名高い堺源伯鳳さんによる研ぎの包丁も
(写真提供:鰻のまこと)
辻木さんは加部島で、昨年は7丁、今年の秋には2丁の包丁を購入しました。それぞれについて、辻木さんに解説していただきました。
一番上が、水本焼柳1尺富士山満月刃紋です。玄海正国といえばこの刃紋といわれています。米雄さんが鍛冶で、研ぎの名人と名高い堺源伯鳳さんによるものです。残念ながら、伯鳳さんは今年3月に亡くなられてしまいました。
水本焼柳1尺富士山満月刃紋(写真提供:鰻のまこと)
上から2番目が、水本焼江戸サキ8.5寸三本杉刃紋鍛冶屋研ぎ。米雄さんが30年ほど前に、堺にいた時につくった生地で、昨年、米雄さんが研いで、辻木さんに渡したそうです。
水本焼江戸サキ8.5寸三本杉刃紋鍛冶研ぎ(写真提供:鰻のまこと)
上から3番目が、水本焼柳切り付け9寸普通刃紋鍛冶屋研ぎ。向米雄さんの名が刻印されています。「向」の中に、「米」の文字と書かれています。
水本焼柳切り付け9寸普通刃紋鍛冶屋研ぎ(写真提供:鰻のまこと)
上から4番目は、水本焼柳切り付け白1 7寸普通刃紋鍛冶研ぎ。俊征さんの製作です。
水本焼柳切り付け白1 7寸普通刃紋普通刃紋鍛冶研ぎ。
対面販売している包丁にのみ「玄海正国」の銘が打刻されている。(写真提供:鰻のまこと)
上から5番目は、水本焼江戸サキ6.5寸鍛冶屋研ぎ。
水本焼江戸サキ6.5寸鍛冶屋研ぎ(写真提供:鰻のまこと)
6・7番目は、水焼霞青鋼紋鍛錬江戸サキ8寸鍛冶屋研ぎ。
水焼霞青鋼紋鍛錬江戸サキ8寸鍛冶屋研ぎ(写真提供:鰻のまこと)
そして、こちらは、今年の秋に購入した、辻木さん用の柳切り付け9寸普通刃紋と、俊征さん製作の両刃水焼黒打ち包丁です。9寸普通刃紋の柄はこれから付けます。
今年の秋に購入した包丁。オリジナルマグカップとともに。(写真提供:鰻のまこと)
「来年製作予定の水本焼江戸サキについて、親父さんといろいろ打ち合わせをしてきました。自分用の江戸サキです。今からできあがりが楽しみです」と辻木さん。
打ち合わせ中、メモをとる米雄さん。(写真提供:鰻のまこと)
米雄さん(中)、俊征さん(左奥)、辻木さん(右)。(写真提供:鰻のまこと)
取材をする中で、辻木さんは『玄海正国』の包丁に、心底、惚れ込んでいるということが伝わってきました。その道を究めんと、日々、精進する一流の職人だからこそ、“伝説の鍛冶”と名高い職人の仕事の凄みがわかるのでしょう。
【最後に】
「鰻のまこと」外観。
こだわりの厳選された大隅活鰻のみを使っている「鰻のまこと」。さぞかし、高価な蒲焼かと思えば、庶民的な値段で驚きました。
「江戸前蒲焼は大衆の方々に長年好まれ現在に至ります。あまり高級だと違いますよね」(辻木さん)。
持ち帰って食べてみると、その美味しさに、さらに驚きました。人生をかけて本物を追求する2人の職人があってこそできたのがこの蒲焼だと思うと、感慨もひとしおです。
取材協力・写真提供:鰻のまこと
撮影:諏訪貴洋(櫻堂)