日本工芸探訪~ルポルタージュ~

2020年01月14日

【美濃焼】式年遷宮のごとく。伝統技術の継承に尽力する「蔵珍窯」のものづくり

「創業以来ずっと、魯山人の写しをつくらせていただいています。魯山人は『器は料理の着物』と言いましたが、当窯でも、目で見て楽しんで、料理を盛り付けて楽しんでいただけるようなうつわをつくっています」と語るのは、美濃焼の一大産地である岐阜県多治見市「蔵珍窯(ぞうほうがま)」二代目の小泉衛右さんです。小泉さんは江戸時代から続く神社の13代目の神主でもあります。

二代目・小泉衛右さん。築150年の古民家の2階にあるギャラリーにて。

蔵珍窯の工房兼ギャラリーは築150年の古民家です。

「景気が良かった時に、大量生産に対応できるよう設備投資をした窯元がたくさんありました。しかし、うちは、量産するつもりはなく、手づくりを続けるつもりでした。そう考えた時に、必要なのは、職人が働きやすい環境だと思い、古民家を移築してきて工房にしました」と、小泉さん。ゆったりとした時が流れる、情緒溢れる工房です。

絵付け師たちの作業場にて。

働く環境づくりからも、蔵珍窯が職人をいかに大切にしているか伝わってきます。伝統工芸を担う職人不足、それに伴う技術の断絶が問題になっている昨今。蔵珍窯がどのような取り組みをしているかお話を伺いました。

「もっと創造的なものづくりがしたい」。それが、自社で職人を育てはじめたきっかけだった

季節は初秋。柿がたわわに実る。奥には土の神様と火の神様を祀った社が。

蔵珍窯が窯をはじめたのは戦後のこと。「これからの時代、神職だけでは食べていけない」と初代が絵付けをはじめたのがきっかけだったそうです。

「初代は、絵を描くのが好きで、最初は絵描きになりたかったそうです。でも、それではやっていけないので、地場産業であるやきものの絵付けをすることにしました。岐阜県立陶磁器試験場工業科で学び、修了後、幸兵衛窯で5代目幸兵衛先生と人間国宝の加藤卓男先生に師事し、その後、独立しました」(小泉さん)。

創業当時、蔵珍窯は絵付けを専門にしていました。やきものは、もともと家内工業でつくられていて、型をつくるところ、焼くところ、絵付けをするところなど、家ごとに役割があったそうです。

とりまとめるのは地域の問屋でした。ものを右から左に流す問屋ではなく、ものを考える問屋で、「こういう形で、こういう絵で」とすべて企画し、各分業先に差配して、できあがった物を出荷していたといいます。

しかし、それでは、指定された型に言われた通りに絵付けするしかありません。初代は、もっと創造的なものづくりがしたいと考えるようになりました。「自分たちがこういうものをつくりたい。こんな風に使って欲しい」という思いが、使い手まで伝わらないことにもジレンマを感じていたといいます。

そこで、窯をつくって、職人を育てて、自社で一貫してものづくりができるようにしました。

現在、蔵珍窯には、型をつくる職人が3人、絵付けをする職人が3人。外部スタッフとして絵付けの職人が2人います。

どんな状況でも、同じものをつくり出すことが職人の矜持

型をつくる職人。

蔵珍窯では、もっと、若手を入れて育てていきたいと考えていますが、なかなか難しい状況だといいます。

最近は、学校で陶芸を習い、卒業後に独立して自分の作品をつくる人が増えているそうです。SNSなどにより、誰でも自分で発信できる時代になったことが大きいでしょう。その反面、職人になりたいという若手が少なくなっているといいます。

誰もが、豊かな感性を活かして、自分の好きなものを表現し、発信できることは素晴らしいことです。しかし、長年修業で培った、職人の技術もまた、かけがえのないものです。

例えば、絵の具の扱いひとつとってもそうです。

蔵珍窯では、創業当時から、赤にこだわっており、原料となる紅柄を1000日かけて摺って、赤絵の具に育てています。現在、紅柄は生産されておらず、昭和初期のデッドストックを使っているそうです。1000日、およそ3年かけて摺ることで、絵の具はきめが細かくなります。水で薄めると粒子が目立ちやすくなるため、摺って粒子を細かくするのです。

千日摺りの赤絵の具で表現された赤。同じ絵の具で、さまざまな赤になる。

「赤は、水で濃淡を調整します。また、1回塗るか、2回塗るかで色が違ってきます。そのさじ加減は、何度もやってみなければわかりません。

それから、絵付けをする時は、赤絵の具、フリットというガラスの成分、膠(にかわ)を混ぜます。フリットは、うつわに絵の具を焼き付ける働きをします。膠は絵を描く時の接着剤のような役割をします。膠は動物性なので、夏は腐るんですよ。だから、絵の具を冷やしながら描かなければなりません。この配合や、扱いは体で覚えていくしかありません」(小泉さん)。

おめでたい鯛のお皿。赤のインパクト!

当然、使う絵の具は赤だけではありません。絵の具は色によって、扱い方が異なります。

緑は水で濃淡の調整ができないといいます。少し青みがかった緑にしたいと思っても、単純に青の絵の具を足せばいいというわけでもありません。緑は銅で色を出しているため、青の顔料を混ぜるとまったく違う色になってしまいます。焼く前と後ではまったく違う色になるため、焼き上がりをイメージして色を付けることも重要です。イメージ通りの色を出すには、何度も描いて、何度も焼いて、経験により取得していかなければならないといいます。

土もまた然り。

「同じ山から取った土でも、どうも違うなと感じることがたまにあるんです。焼いてみると、やっぱり、何か起こるんですよね。ブツブツができたり、色がおかしくなったり。そうなると、その土に合わせて調合を変えなければなりません」(小泉さん)。

同じ物をつくり続けるということは、端から見れば、単純なように見えて、実はとても難しいことです。好きなものを好きなように表現する作家であれば、一期一会の作品づくりが評価されます。しかし、職人たちは、一定のラインをきっちりと守って、多くの人に求められる作品を、つくり続けなければなりません。

技術を磨くだけでは食べていけない。これからの職人に必要なこと

窯にて。

「職人を育てるのは大変です。10年くらい経って、なんとかできるようになってきたと思ったら、独立してしまったりして。それはそれで、いいかと思ったりもしているんですけどね。

しかし、独立したけれど、結局、続けられなかった方もいました。これに関しては、私自身の反省もあります。技術だけでなく、仕事をどうとってくるのか、利益を出すにはどう仕事を回していけばいいのかなど、経営ベースまできちんと教えてあげればよかったと悔やまれます。今後は、そこまで教えていきたいですね」(小泉さん)。

つくり続けていかないと、技術が途絶えてしまう

工房で、職人が絵付けをしているところ。このうつわは金色に焼き上がるそう。

「多治見では、絵付け業の担い手の減少が深刻で、かつては300軒あったのが、今は30軒になっています。そのうち、手描きをしているのはうちを含め3軒です。その他は、転写(※1)ですね。さらに、30軒の平均年齢はだいたい70歳ですから、10年後、いや5年後にはどうなっているかわからないですね。転写を貼る人も、もういなくなる可能性があります。ものが売れる時代ではありませんし、自営業のため社会保険がなかったりして、生活が不安定なため家業を継ぎたいと思う人も減っていますからね」(小泉さん)。

職人がいなくなるということは、技術が途絶えてしまうことを意味します。

例えば、蔵珍窯でつくり続けている扇形の銚子があります。

扇形の銚子。角に、まっすぐ線を引くには高い技術がいる。

「角に引かれている線を見てください。こんなにまっすぐ美しい線が引ける人は、今ほとんどいません。これを描いているのは、外注の職人として働いてくれている方です。

ずっと、制作をお願いしていたのですが、ご高齢になって仕事を辞めてしまわれて、『この銚子をつくる技術が失われてしまう』と、社内でやることにしたんです。しかし、どうしてもこの線が描けないんですね。角に線をのせるのは本当に難しいんです。それで、職人さんに教えを請いにいくと、『その筆では無理だよ』っておっしゃったんです」(小泉さん)。

問題は、技術ではなく筆でした。一見、拍子抜けするような話ですが、もし、その方がいらっしゃらなければ、わからないまま、二度とその線が引けずに、この銚子はつくれなくなくなっていたかもしれません。

※1 紙に刷った模様をうつわに焼き付ける技法

技術継承のため、売れていても売れていなくてもつくり続けるものがある

瑠璃色に、銀が円く塗られた八角皿。これも、30年前からつくっています。

「釉薬で出した瑠璃色に、銀を塗っています。お刺身を盛り付けると映えますよ。やはりうつわには流行り廃りがあるのですが、思い入れのあるものは流行っていなくてもつくり続けています。そうすると、また、ふと売れるようになったりすんですよね。今、これは、中国で売れ始めています」(小泉さん)。

つくり続けるのは、技術の継承のため。一度、その技術が途絶えると、復活させるのは至難の業。二度とつくれなくなるかもしれないといいます。

お話を伺っていると、技術の継承に、強い使命感をもって取り組んでいるように感じられました。

蔵珍窯は、岐阜県神社庁の御用窯でもあります。御神酒の盃であるかわらけなど神具もつくっていますが、御用窯になったのはそのためだけではありません。

「伊勢神宮で20年に1度行われる遷宮は、伝統技術の保存と継承という意味でも大きな役割を果たしているといわれています。このように、代々神主をしている当家に、地域に伝わる技術を伝承していって欲しいという思いから、当時の庁長に推薦していただきました」(小泉さん)。

蔵珍窯のうつわは、決して高額ではなく、私たちが気軽に購入できるものばかりです。

作家ものの高価なうつわにも憧れます。でも、職人の技術と感性が光るうつわで、食卓を彩る日常もすてきです。毎日、ささやかに、心をぽっと温かくしてくれそうです。

庶民に愛され続けるものが、時代を超えて残っていく――。
小泉さんのお話をうかがっていて、そんな話を思い出しました。

そして、同時に、庶民に愛され続けるもの、さりげなく日常を彩るものをつくり続けることの凄さを思わずにはいられませんでした。

取材協力:蔵珍窯
写真:諏訪貴洋(櫻堂)

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職人圖鑑編集部

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