江戸時代中期から明治30年代まで、商品を売買しながら日本海を航海した北前船。その寄港地の1つが、日本海に突き出た能登半島にある石川県・輪島です。輪島塗は、ここから海を渡り、一気に全国区に広がっていいきます。その仕掛け人が塗師屋(ぬしや)です。
塗師屋とは、いわば、漆器の総合プロデューサー。漆器は分業で作られており、輪島塗なら11の職種があります。それぞれ専門の職人が作業を行いますが、企画・デザイン、販売を担うのが塗師屋です。
おしゃれで情報通の文化人。そして、商魂たくましい輪島の塗師屋
田谷漆器店10代目・田谷昂大さん。石川県輪島市にある田谷漆器店ギャラリーにて。
「その昔、塗師屋は自ら船に乗り、全国各地の顧客を訪問していました。お客様のお宅にも上がります。だから、お客様に恥を欠かせないよう身だしなみには気を遣い、とてもおしゃれだったそうです。
そして、俳句やお茶をたしなむなど教養を身につけ、旅の中で見聞きし、芸術・文化の最新情報にも詳しかったことから各地で文人・墨客の扱いを受けたといわれています」と、話してくれたのは、物腰柔らかで笑顔が爽やかな29歳の若き塗師屋・田谷昂大さん。創業200年の老舗、田谷漆器店10代目です。
能登の塗師屋は商売上手でした。
「日本で初めてショッピングローンのシステムを作ったのは輪島塗でした。
例えば、九州に行商に出て、5人のお客さんを集めるんです。1人10万円のものを買ってもらい、最初に5人から2万円ずつ集めて、1人目のお客さんに納品します。次の年も2万円ずつ集めて、次のお客さんに納品します。これを、5年繰り返すんです。
そして、5年経って、全員に行き渡ったところで、『そろそろ、お直しはいかがですか?』『新しいものもありますよ』と提案するんです」(田谷さん)。
故郷を離れて気がついた輪島塗の素晴らしさ
制作途中の椀。中塗りをして乾かしているところ。
田谷さんは、もともと、家業を継ぐつもりはありませんでした。しかし、何気ないことが転機となります。大学進学を機に故郷を離れ、東京で1人暮らしを始めた時のことです。
「ある家具量販店で食器を買い揃えたのですが、そのお椀を使って気づいたんです。今まで、いかに素晴らしいものを使っていたのかってことを。本物は、手にすっぽりと馴染んで、口当たりもなめらかです。それに、保温性も高いんです。
大学を卒業したら、自分で商売をしたいと思っていました。だったら、自分がずっと使ってきて、心からいいと思えるものを扱えるならこんな幸せなことはないと思いました」(田谷さん)。
左から、8代目・勤さん、9代目・昭弘さん、10代目・昂大さん、母・早由里さん、祖母・静子さん。
祖父母も父母も輪島塗に携わり、当たり前に輪島塗がる食卓に育った田谷さんは、家を離れたことで、その価値に気がつきました。
そして、家業を継ぐと決めると学業の傍ら、外資系ホテルでアルバイトを始めます。一流のお客様を相手に、最高級のおもてなしを提供するホテルマンの仕事は、塗師屋の仕事に役立つと考えたからです。
祖父や父の時代とは違う取組み。海外展開やネット販売
クリスマス、お正月限定の小皿。パーティーや御祝の席が華やかに楽しくなりそう。
現在、田谷漆器店は、親子三代が一緒に働いています。
スタイルは三者三様、まったく違います。時代によっても、やり方は変わってきました。
祖父である8代目の時代は、バブル真っ盛りで百貨店の仕事がメインでした。その前は料亭や割烹が中心だったそうです。父である9代目の時代は、バブルが弾けて苦しい時代でしたが、建築内装の仕事や、百貨店以外の催事などに力を入れていました。
金箔で覆われた大皿に龍を描く。贅を尽くした芸術品も手がけています。
そして、10代目は、法人向けの販売や海外展開、ネット販売を始めました。
「『こんなに素晴らしいものなら、海外に持っていけばすぐに売れるよ』って皆さんおっしゃるんです。最初は、その言葉を信じて、そのまま持っていったんですけど、まったく売れなかった(笑)。
それで、逆の立場で考えてみたんです。僕ら日本人は、イギリスの何百年も続いてきた老舗のものだからと言われても、高価なティーカップを買おうとはなかなか思いませんよね。ライフスタイルにないものを欲しいとは思わないんです。
だから、イギリス人は、漆器は買わない。でも、漆を塗ったティーカップなら買うんです。中国では茶器、アメリカは万年筆が好評です。
それで、輪島塗を販売するという看板は守りつつ、漆を塗る技術の販売を始めました。輪島は漆を塗るという技術に関しては世界一ですからね。
輪島塗は全124工程。こちらは、右から左へ、何も塗ってない木地から、上塗りされるまでの工程を示しています。
それに、漆は塗料としての魅力がとても高いんです。漆がほかの塗料と何が違うかというと、50年ほどかけて空気中の水分を取り込みながら固まって、最後は鋼のように固くなるんです。使えば使うほど艶も増します。経年劣化ではなく、経年美化する塗料なのです」(田谷さん)。
これからは原点回帰。一般のお客様、特に石川県の方に使って欲しい
輪島塗のある食卓。おうち時間が楽しくなりそう。
田谷さんは、一般の方にも、もっと輪島塗を使って欲しいとネット販売にも力を入れてきました。使う体験をしてもらいたくて、輪島塗のレンタルサービスも始めています。
「もともと、輪島塗は高価なものでなく、日用食器でした。海外から安価な大量生産品が入ってきたり、西洋風の生活様式になったりして、次第に、家庭の食卓から姿を消しました。
どの家庭にも輪島塗がある時代ではないので、皆さんにも、実際に使っていただいて、その良さを実感して欲しくて。手をつけて、口をつけて、感触はどうか。扱ってみて丈夫なのか、確認してもらえればと思っています」(田谷さん)。
2021年3月には別会社を立ち上げて、石川県の伝統工芸品の魅力を伝える体験型ショップもオープンします。クラウドファンディングで支援を募り、開業資金を集めました。
「輪島塗、山中塗、九谷焼など、石川県の伝統工芸品でコース料理を楽しんでいただく体験型ショップを金沢にオープンします。金沢にお店を開くのは、まずは、石川県の方から輪島塗を使って欲しいと思ったからです。
輪島塗はなぜ、高いのかといえば、機能性に優れていて美しいからです。香りも、手触りも違います。それに冷めにくい。使っていただいて、その良さを実感して、ぜひ買っていただきたいと思っています。
『こんなに頑張って作っているから高い』なんて言いません。それは、お客様には関係のない話です」(田谷さん)。
職人あっての輪島塗。塗師屋ができることは、その魅力を伝え買っていただくこと
職人が研ぎの作業をしているところ。この後、中塗り、上塗りへと進んでいく。
田谷さんは、あえて「魅力を伝える」などという曖昧できれいな言葉で済ませません。
「僕ら塗師屋の仕事は、輪島塗の魅力を広く伝え、多くの方に買っていただき、職人たちに還元していくこと。
職人がいなければ、輪島塗はできません。でも、いま、現実問題として、輪島塗は後継者不足に陥っています。極端な話、年収2,000万円なら、みんな職人になりたがると思うんです。生活の保障がされていたら、ここまで職人不足にはならなかったでしょう。
僕らには僕らの夢がある。職人には職人の夢があると思うんです」と、若き塗師屋は力強く話してくれました。
生漆にのりと地の粉(珪藻土の粉末)、木の粉を混ぜたものを塗って乾かした後、紙やすりで磨く。
田谷さんは、金沢と輪島、東京を中心に、全国各地を行ったり来たりしています。時には海外へも飛んでいきます。でも、「ちょっとそこまで行ってくる」というような気軽さで話すのが印象的でした。
その昔、北前船に乗って、各地を転々として商売をしていたという、輪島の塗師屋の姿に重なって見えたのでした。
取材協力:田谷漆器店
執筆:瀬戸口ゆうこ
写真:諏訪貴洋(櫻堂)