九谷焼の三大技法である赤絵細描。筆1本で1mmに3~4本、さらに細かい場合は5本の線を描くこともあるという超絶技巧です。
その第一人者が、この道50年以上の絵付師・福島武山さん。第23回全国伝統的工芸品公募展にて第一席グランプリ内閣総理大臣賞をはじめ名だたる賞を受賞し、エルメス社から依頼を受けて時計の文字盤をデザインするなど輝かしい経歴を持つ名工です。
さらに、これまでに10人ほどの弟子を輩出。福島武山一門は、引く手あまたの気鋭作家や、これからが楽しみな作家ばかりで、九谷焼のみならず陶芸界に新たな風を巻き起こしています。
縁に導かれ赤絵の郷・能美へ。会社員として働きながらの修業時代
修業時代について語ってくれる福島武山さん。
福島さんは、結婚を機に金沢市から能美市に移り住み、縁あって、赤絵の世界に足を踏み入れました。
「私は石川県立工業高校のデザイン科を出ていましたので、『筆が持てるんじゃないか』と絵付けをしていた義理の母から、絵の具とガラス板、筆を与えられたのがきっかけでした。そうしたら、そこそこ描けてしまって。
それで、窯元から白生地を与えられて、筆で描いて焼いてもらったら、ご主人がびっくりしたんです。長い間やっていても、これだけ描ける人はいないってね。おだてられたのかもしれないけれど」と、冗談交じりに話してくれました。
こうして、福島さんは絵付師を志します。平日は会社員として働きながら週に1度、夜間の訓練校に通って、絵付けの技術を学びました。運筆といって、筆で模様を写す修業もしました。土曜の仕事が終わってから、そして日曜は一日中、筆を持ってひたすら描いていたそうです。
若い頃に得たものが、いま、熟成されて作品に表れる
赤絵 山水文角鉢(2017年)。繊細な筆運びの山水画、緻密な幾何模様に圧倒される。
「私には師匠がいなかったので、美術館などに足を運んでいろんなものを見て学びました。それから、絵付けの勉強になりそうな集まりにはとにかく参加しました。スケッチばかりしているグループにも所属していました。そういう積み重ねが、今になって自然と作品に出てきます。
それから、私の中に、少しばかり美術系の血が入っているんですよね。祖母や父が加賀友禅の刺繍をしていたんです。これは祖母が刺繍したものなんですよ。明治時代のものです」とにっこり微笑み、目の前のテーブルライナーを指し示します。
赤絵 網手龍鳳凰鶴首花瓶(2005年)。
作品の下に敷かれているのが、お祖母様が刺繍したテーブルライナー。
こうして、会社員をしながら修業を続けて、2年ほど経った頃、福島さんは、あるコンクールでオブザーバーとして作品を出展することになりました。
「そこでね、日展の先生方が審査にいらっしゃって、賞の対象ではないんですけど、私の作品が一番いいって褒めてくださったんです。それで舞い上がってしまって(笑)、会社を辞めて、この仕事だけで生きていくことにしました。昭和46年1月のことです」
独立後は、高度経済成長の後押しもあり、注文はひっきりなし。問屋さんが、次々と白磁を持ってきてくれたといいます。九谷焼は、生地づくりをする窯元があって、プロデューサーである問屋があって、絵付をする職人がいて、分業で回っています。
「私はとても恵まれていました。仕事がたくさんあって、十分に経験を積むことができました。やっぱり、数もの(量産品)をこなすのは大事です」
精緻な線に表れる個性、技術、そして年代
赤絵鉢 響き(2009年)。目を凝らすと模様が極細の線で描かれていることがわかる。
つい魅入ってしまう美しさ。
1mmに満たない精緻な線も、描き手によって個性が出ます。それだけでなく、年代も出ると福島さんはいいます。
福島さんに筆書きしてもらった文字。米粒よりも小さい!
「最初は、震えるような拙い線だったのが、だんだんときれいに描けるようになって、仕事をしていくうちに線が柔らかくなって。そういう面白みが出てくるんです。
私の品物が好きな方がいて、40代の時のものからずっと集めていらしたんです。最近、それを見る機会があって、今とは随分違う線を描いているなと思いました。40代の時に描いた線は正確です。きちんと描いてあります。でも、絵は下手です。
50代は、一番いい時だったのかもしれませんね。ものをつくるには、ある程度、体力がいるんです。ほら、家を建てる大工さんでも、体力が必要でしょう。体力もあって、技も充実しているのが50代なんじゃないかなと思います」
赤絵恵比寿大黒文馬上杯(1980年頃)。
76歳になった今も筆をとり続けている福島さんだからこそ言えることです。
「中には、『今、描く人物の顔が優しくていいね』といってくれる方もいます。比較的、自由に筆が動くようになったと、自分でも思いますね。よく見せたい、うまく描きたいという意識がだんだんとなくなってきたから」
素質が50%あれば、50%は努力や教えてもらうことで克服できる
絵付けをしている福島さん。
福島さんには10人ほどのお弟子さんがいます。弟子をとりはじめたのは、今から36年前に開校した九谷焼技術研修所で講師をし始めたのがきっかけでした。
「赤絵をするのが私しかいなくて、お声がけいただいたんです。ものすごく嬉しかったです。当時、講師の中で一番若かったですね。弟子入りしたのはみんな、そこで出会った子たちです。不思議なことに女性が多いんですが、特に選んでいるわけではありません(笑)。うちに来た子は、みんないい子ばかりですよ」といって、お弟子さんの近況を嬉しそうに話してくださいました。
この日、工房にお弟子さんが来ていました。うまく引けない線があったようで、福島さんに尋ねます。すると、福島さんがお弟子さんのそばに寄り、「ああ、これはね」と描いて見せてコツを教えるのでした。
お弟子さんに線の引き方を教えています。
「素質が50%あれば、あとの50%は努力や教えてもらうことで克服できると思っています。やりたいという気持ちを持った子たちだからね。丁寧に教えて、褒めて伸ばしてあげるとだんだんと良くなっていきます。私が20年かかったことを、この子たちは5年でマスターするんですよ。全部教えてあげるから」
職人には経済の観念も必要。赤絵で食べていくということ
作業場にて。
福島さんが教えるのは、技術だけではありません。職人として食べていくために必要なことはすべて教えます。
「やっぱり、数ものをつくるのは大事ですね。数をこなすことで腕が上がるし、経済の観念もできます。何日でこれだけのものをつくったら、日当が6000円になるとか、7000円になるとかね。
一品ものだけをつくっていたら、それはわからないでしょう。自分がいくら満足しても、高くて売れなければ価値に見合ってないということ。どんどん売れるということであれば適正価格かなと。今の若い人が、一番悩むのはそこですね。そのあたりのこともきちんと教えます」
それから、「丁寧な仕事をする」ということも折に触れ伝えています。納期が迫っていると、つい忘れがちになります。若い頃、数ものをこなしてきた福島さん自身も、その感覚がよくわかっています。
「1点1点どこに行くかわかりませんが、やきものは割れなければずっと残ります。これは笑い話なんですが、名前が売れてくると、若い頃につくったものがいっぱい出てくるんですよ。それこそ、数ものとかね。箱をつくってくれといって持って来られることもあって、見ると、ひどい下手な絵が描いてあるんですよ(笑)」
焼き上がったばかりの盆栽鉢。海外展開を視野に入れた、福島さんの新しい試み。
最後に、福島さんにこう尋ねました。
――伝統とはどんなものだと思いますか?
「日本伝統工芸展の趣旨でもいわれているように、伝統とはそこに留まることではないと思います。どんどん新しいものに変えていくことで、未来に繋がっていく。私はそれを身を以て体験してきているんです。変わっていかないと時代に取り残されてしまいます。
独立していった若い子たちも、隣はどんなことをやっているか見ながら、自分はどう個性を出していくかと試行錯誤やっているところです。そういうのが新しいスタイルを生み出します。だからね、赤絵はこれからもっと面白くなると思いますね」
取材協力:福島武山
写真:諏訪貴洋(櫻堂)
執筆:瀬戸口ゆうこ