ある日、ふらりと訪れた銀座のギャラリーで、備前焼の個展が開かれていました。
何気なく作品を見ていると、入口から長髪を後ろで束ね、ひげをたくわえたワイルドな風貌の男性が、「只今、戻りました!」と賑やかに現れました。目が合うと「備前焼はお好きですか?」と、にっこり笑って声をかけてくれました。その人が、備前焼作家・松岡誠悟さんでした。
私が、「いつか、備前焼のコーヒーカップが欲しいと思っていて」というと、松岡さんは薄茶色の肌にぽっと緋色の模様が入った火襷のコーヒーカップを見せてくれました。手に持ってみると、驚くほどすっと馴染みます。
松岡さんがつくった、火襷のコーヒーカップ。
「取っ手が少し小さいでしょう? コーヒーカップは、海外のものをそのまま真似している形状のものが多いんですけど、これは、日本人の手に合わせてつくりました。人差し指と中指を輪に入れて、薬指で支えて持てるようにしているんです。これなら、つるんと滑ったりせず、リラックスして飲めますよね」と、松岡さんはいいます。
希少価値の高い引き出し黒備前が驚異の取れ率50%
まるで溶岩のようなフリーカップ。釉薬は一切、塗っていない。
そして、「ぜひ、こちらも見てください」と指したのが、メタリックな輝きをまとう黒色のうつわでした。溶岩石のような質感のものと、スタイリッシュな面取りのものがありました。
「これは、引き出し黒備前といって、焼成中に高温状態のうつわを窯から引き出して急冷させる技法を用いたものです。本来は、急冷時にほとんどが割れてしまい、5%程度しか残りません。でも、僕は、その取れ率を50%にまで引き上げました。だから、価格を抑えることもできるんですよ。よく、この価格で出していいのかと驚かれます」
私は、溶岩のような質感の引き出し黒備前にたちまち魅了されてしまいました。中を覗くと外側のマット感とはまた景色が違い、なめらかな肌が光を受けて艶めかしく銀黒に輝いています。手に持つと、目で見てわからないくらいさりげないくぼみがあり、そこに親指と中指・薬指がすっと収まり、心地よく手に吸い付くようです。
火襷のコーヒーカップと迷った挙げ句、結局、引き出し黒備前のフリーカップを購入することに。正直なところ、この価格で希少とされる引き出し黒備前が手に入るのなら、買って使ってみたいという好奇心もありました。
しかし、技術力もデザイン性も高く、使い勝手についても細部まで考え抜かれているのに、取れ率がいいからといって価格を下げなくてもいいのではないか? そんな疑問も浮かんできました。
松岡さんのものづくりや、その考え方についてもっと深く知りたくなり、岡山県備前市の工房を訪ねることにしました。
焼け具合も燃焼効率等を計算し、自ら設計してつくった窯
松岡誠悟さんと妻・亜弓さん。窯の前にて。
2週間後、備前市の人里離れた山の中にある、松岡さんの工房を訪ねました。そこには、ろくろのある小屋と大小の窯が1つずつありました。同じく備前焼作家である妻の亜弓さんと一緒に出迎えてくれて、小さな窯の方へと案内してくれました。
「この子はよく働いてくれるんですよ。必要なだけ焼いて売りに出て、また必要なだけ焼いて売りに出てという具合に、小回りがきくので重宝しています」と亜弓さんは、小さな窯を優しく撫でます。
窯の全体像。特殊な耐熱煉瓦を重ねています。
「この窯は備前では珍しい形ですが、なかなかよい出来です。焼け具合も燃焼効率もちゃんと計算して、設計図を引いてつくりましたからね。立地や気候、燃料など不確定要素が多く100点の窯というのはできないので、60点を目指してつくりました。あとの40点は技術でカバーできますから」と松岡さん。大小どちらの窯もすべて自分たちでつくったそうです。
引き出し黒備前の取れ率を上げることができたのも、この小さな窯があってこそ。少量ずつ何度も焼くことができて、回数を重ねて実験できたからだといいます。
「結局、なぜ割れてしまうかというのかなんですよ。割れ方を見て、何が起こったかというのもわかります。原因がわかれば、それをやめていけばいい。トライ&エラーで検証していき精度を上げていきました」
理系大学出身の松岡さんにとって、化学的な検証はお手の物。それでも、取れ率が50%になるまでには7年の月日がかかりました。
まずは使って、その良さを知ってもらいたいから、値段は上げられない
焼きあがったばかりのうつわの前で。松岡さんはこの翌日、このうつわを持って南紀白浜に旅立ちました。
引き出し黒備前を50%完成させるというのは、誰も真似することができません。ここに至るまでにも相当な月日と労力がかかっています。そうであるなら、相応の価格で売ってもいいのではないでしょうか。率直に、松岡さんに聞いてみました。
「僕は、正味な仕事がしたいんです。どれだけコストがかかって、取れ率がこれだけで、そうすると儲けはこれだけでという計算で上代が決まりますよね。うちはたくさん儲からなくても生きていけますし、お客さんも安くいいものが手に入る。どちらも嬉しいじゃないですか。これは僕にしかできないから付加価値があると偉そうに売ったら、そのバランスが崩れてしまいます。限度というものがあると思うんです。
例えば、白菜の価格が高騰しているとなったら買い控えするじゃないですか。たかだか数十円の差ですよ。
買って、使ってもらってこそだから、どうしても値段を上げられません。使ってもらわなければ、その良さはわかりません」
薪も自分達で割ります。いい割木を買えば手間もかかりませんが、少しでも売値を抑えたいと労力を惜しみません。
「でも、ちゃんとしていれば、食いっぱぐれることはないんです。そもそも、やりたいことをやって、ご飯が食べていけるってこと自体、幸せですよね。
もっとも、僕のあずかり知らぬところで上がっていく分には関係ないと思っています。人気が出て、需要と供給のバランスが崩れて上がっていくのであれば、評価されているんだなと思うだけです。センスは自分で決めるものじゃなくて、他人が決めることだと思っています」
見た目ではわからないところまで徹底的につくりこむ
見た目ではわかりませんが、ガタつかないように、3点でバランスよく支える設計になっています。
「彼がやっていることって本当に地味で分かりづらいんです。例えば、花入れも食器も、ガタつきが出ないように3点で支えるようにつくっています。よく見ないとわからないんですけど、必ずそういう処理をするんです。
見た目ではわからない地味なところなんだけど、使っていくとわかるよねっていうところまで徹底してつくりこむんです」と、亜弓さんはいいます。
「かっこいいけど、ガタつくよねとか、そういうのは本当に嫌なんです。手で触った跡も味だといってしまえばそうかもしれませんが、意図せず付いたものならきちんと消したい。備前焼は釉薬を使わないから、ちょっとしたことが目立つんですよね。
車だってそうじゃないですか。『塗装は剥げていますが性能はいいです』といわれても、『はい、そうですか』と買えないでしょう。もう、そこは僕の中で最低限のことですね」
小鉢は、へりに返しをつけています。これなら、煮豆をスプーンですくう時も、最後まできれいにすくえます。
その上で、「大鉢は、食べ物をすくった時に動かないよう、あえてずっしり重くする」、「片口は、女性が手に持った時に手首のしなり美しく見える様にする」など、ものによって、それぞれに用の美を追求します。
「高いとか安いとかじゃなくて、なぜかいつも使っちゃうってうつわってありますよね。僕は、そういうものがつくりたいんです。割れてしまって初めて、『さて困った』ってなるような中毒性のあるうつわを。〝トラウマになるようなやきものをつくる〟というのが、独立当時からの、僕の一貫したコンセプトです」
使ってもらうために、自分の口で話して伝えるのも大切な仕事
引き出し黒備前の片口。温度によって、黒っぽくなったり、シルバーがかった色になったり変化するそうです。
使ってこそ真価がわかる松岡さんのうつわ。しかし、「使ってもらえばわかる」と構えているだけではなく、使い手にその良さを伝えることも大切にしています。自分自身で全国を飛び回り、自分の作品のこと、備前焼のことを話して回っています。
「行く先々で、ギャラリーの方が驚かれるくらい、1日中喋っています。それこそ、業者の人に間違われることもあります(笑)。
備前焼というと、『あぁ、高いよね』というひと言で終わってしまいがちなんですけど、やっぱり、高いのには理由があるんです。手間もコストも段違いにかかるんです。そういうのをきっちり説明すると、みなさん、それが当然だと理解してくださるんですよね」
ろくろをひきながらも、話が途切れない松岡さん。話しながらも、自由自在に、緻密に手が動きます。
こんな風に自分で売りに行く時間がつくれるのは、「いいのか悪いのか、早くつくれるから」と松岡さん。元々、会社に勤めて陶工として働いていたため、それこそ、同じものを500個、1000個とろくろでひかねばなりませんでした。早く正確につくる技術は、そこで鍛えられました。
「ただ、隣の職人がつくっているものとシャッフルしてもわからないくらいにするのが仕事だから、腕は上がるけど自分がなくなっていくことに不安を感じるようになって独立したんですけどね」と、当時の心境を懐かしそうに話します。
大きなお皿も、小さな急須も、どちらもろくろでひいたもの。
生きざまを物語る職人の手
松岡さんの手。ろくろをする人は手が厚くなるそうです。親指の付け根のふくらみは筋肉と聞いてびっくり!
松岡さんの手を見ると、親指の付け根がこぶのように盛り上がっています。触ると柔らかい、とてもしなやかな筋肉です。指を固定するための筋肉で、ろくろ仕事を続けるうちに発達したのだといいます。
「この指も、ピアニストみたいに全部がバラバラに仕事をするんですよ。だから、普通は四手でやることを一手ですることができます。これも時間短縮ができる秘密ですね。親指の爪が長いのも、道具として使うからです。これを切ってしまうと、蓋物など、つくれなくなっちゃうものもあります」
この手に刻まれたのは、日々の積み重ね。
すべての思想や経験を物語っているようで、とても尊く美しく目に映りました。
取材協力:松岡誠悟(備前焼)
撮影:諏訪貴洋(櫻堂)
執筆:瀬戸口ゆうこ
松岡誠悟さんのうつわは、↓↓↓こちら↓↓↓からご購入いただけます。
松岡誠悟さんの引き出し黒備前は、↓↓↓リアル店舗↓↓↓で取扱中です。