とうとうと流れる川のせせらぎと、ゴツン、ゴツンと唐臼が土を叩く音が響き渡り、のどかな里山風景が広がる小鹿田(おんた)皿山地区。大分県日田市にある、この小さな山あいの集落でつくられているのが、民藝運動(※)を主導した柳宗悦(やなぎむねよし)に「世界一の民陶」と称された小鹿田焼です。
“民陶”とは、民衆によってつくられた、民衆が生活のために使う陶器のこと。小鹿田焼は、その昔、民藝運動をきっかけに脚光を浴びるまで、地元では周辺産地と一把一絡げに「日田もの」と呼ばれていたといいます。
昔ながらの唐臼で陶土を砕く。川の水流を利用し、ししおどしの要領で杵を動かしている。
小鹿田皿山では、江戸時代中期に開窯して以来、一子相伝で伝統技術を受け継ぎ、今もなお、土づくりから焼成まで、すべて人の手によって行われています。
いったいなぜ、300年以上も永きにわたり、伝統的なうつわづくりを続けてこられたのでしょう。小鹿田焼協同組合の理事長であり、9代続く窯元の8代目当主・坂本工さんにお話をうかがいました。
かつては、農閑期にうつわをつくる“半農半陶”の暮らしだった
ろくろ場にて、坂本さんにインタビュー。
“一子相伝”で技術を守り、継承してきた理由とは?
坂本さん 一子相伝というとたいそうなものに聞こえますが、一子しか食べていけないというのが本当のところです。実際に、うつわだけで食べていけるようになったのは民藝運動以降、昭和に入ってからです。それまでは、半農半陶の暮らしでした。私たちの祖先は、田畑を持ち自給自足の生活をしながら、農閑期に陶器をつくり、都市部に売りに出て生計の足しにしていたのです。
坂本さんの作品。イギリスの陶芸家・バーナード・リーチが滞在した際に伝授した、取っ手の付けの技法は今も小鹿田焼きに受け継がれています。
そうはいっても、300年以上も、伝統技法を守り続けてきたのはすごいことですね。
坂本さん “守ってきた”というのは少し違いますね。土の性質上、変えられなかったのです。例えば、他産地ではほとんど、団子状の粘土から成形していきますが、小鹿田焼の土は収縮率が大きく割れやすいため、それでははち切れてしまいます。だから、紐状にして練りつけるようにして成形していかねばならず、電動ろくろではやりづらいんです。だから、蹴ろくろを使っています。
足でろくろ盤を蹴って回転させる「蹴ろくろ」。
半乾きの素地に白い化粧土を塗り幾何学的な模様を付ける
ろくろを回しながら、化粧土を掛けた生地に鉋の刃先を当てて連続的な模様を刻んでいく。
小鹿田焼はうつわに窯元の名前を入れない?
坂本さん 柳宗悦、河井寛次郎という大先生方が名前を打たないのに、私たちが打つのは忍びないという思いはありますね。
ただ、最近は、小鹿田焼でも名前を出すようになっています。それは、製造元をはっきりさせるという責任上の問題です。
小鹿田焼といえば、刷毛目や飛び鉋など化粧土で施した素朴な模様が特徴的ですね。
坂本さん 白い化粧土も、本当は塗りたくないです。無地がベストですが、塗らないと売れません。高級な磁器のように無地の真っ白が理想ですが、小鹿田焼の土では、ただ掛けるだけだと剥げてきてしまいます。だから、刷毛目や飛び鉋などの模様をつけるんです。
あと、色も付けないのではなく、付けられないのです。熱に弱い生地のため、高温焼成できず、色ものの釉薬はくっつきません。
ろくろをゆっくりと回しながら、化粧土を刷毛で塗る「刷毛目」模様を付けているところ。
変えたら暮らしは楽になるかもしれない。でも、小鹿田焼じゃなくなる
ろくろを回す坂本さん。
小鹿田焼が300年以上、変わらぬ姿で続いてきた理由とは?
坂本さん 変えなかったのではなく、変えられなかったんでしょうね。正直なところ、変えたいと思うことはありますよ。
ここの土は少し薪を入れすぎただけで一気に割れてしまい、ひどい時は、焼成時に半分以上ダメになってしまいます。他の土を混ぜて強くしたいと思うことはあります。だって、それをやれば、倍儲かるんですから。でも、それだと小鹿田焼ではなくなってしまいますよね。
どんなに理想をいっても、御飯が食べられなくなるのはやはりつらい。だから、信念がないと貫き通せないですよね。それをやってしまったら、小鹿田焼じゃなくなるという怖さもあります。
陶土を窯の上で乾燥させているところ。
これからも小鹿田焼が残っていくために必要なことは?
坂本さん たった9軒ですべて手作業なので、生産量は微々たるものですが、これを減らさないようにしないと。減っていったらあっという間だと思います。
だからといって、保護しなければというのは違います。それだと衰退しか道はありません。だから、いつ壊れてもいいですよというスタンスでやっています。
私たちができるのは、ただ、次世代にバトンタッチすることだけです。
※民藝運動とは、1926(大正15)年に、柳宗悦、河井寛次郎、浜田庄司らによって提唱された生活文化運動のこと。華美な装飾を施した観賞用の工芸作品が主流の時代、名もない職人たちがつくった、庶民が日々使う生活道具にこそ健全な美が宿ると唱えました。民藝運動に加わっていたイギリスの陶芸家・バーナード・リーチは小鹿田皿山に滞在し、技術や作陶への心構えを陶工たちに伝えたといいます。
取材協力:坂本工(坂本工窯)
撮影:諏訪貴宏
執筆:瀬戸口ゆうこ
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