鎌倉彫の一翆堂(いっすいどう)三代目、木内史子さんに出会ったのは、東京・巣鴨の西方寺で開催された三人展でした。陶芸、金工の作家さんとともに、茶道具を中心とした作品を展示されていて、その時、史子さんの作品を初めて拝見しました。
――こんなモダンでおしゃれな鎌倉彫があるんだ。
思いがけず、心がとときめきました。彫りの陰影に力強さを感じる、どちらかというと重厚なイメージがありましたが、史子さんの作品は、シンプルでモダン。そして、どことなく優しい雰囲気をまとっていました。
彫りをシンプルにすることで、コーディネートしやすく、さらに手に届きやすい価格にしています。
「現代のライフスタイルに合うようにデザインしています。この茶托は、ケーキやシュークリームをのせてもかわいいですよ。コーヒーカップと合わせてもすてきです」(史子さん)。
そう言われてみると、そこに並ぶ茶托も、お盆も、鉢も、日常の中で使うシーンが思い浮かんできて、暮らしに取り入れたくなってきます。1つあれば、おうち時間がとても豊かなものになりそうです。
詳しくお話をうかがってみたくなり、後日、鎌倉の小町通りにある工房兼店舗を訪れました。出迎えてくれたのは、史子さんと、その母であり一翆堂の二代目である小夜子さんです。
一翆堂の店内にて、小夜子さん(右)、史子さん(左)。
お話をうかがううちに、今の史子さんの作風にたどりつくまでには、一翆堂の三代にわたる積み重ねがあってこそだということを知りました。
戦時下にあっても鎌倉彫を彫り続けた初代・木内翆岳さん
今は亡き、一翆堂・初代の翆岳さんの作品です。
「父であり、一翆堂・初代の翆岳(すいがく)は、『鎌倉彫がやってみたい』と、生まれ故郷の長野から鎌倉にやってきました。『鎌倉彫という素晴らしい工芸があるらしい』と、最初はその程度の情報しかもっていなかったそうです」(小夜子さん)。
翆岳さんは、鎌倉にやってくると佐藤宗岳氏に師事し、〝彫り〟と〝塗り〟の修業を積み、27歳の時に独立しました。しかし、当時は第二次世界大戦のまっただ中、非常事態において、人々は工芸を楽しむゆとりなどありません。とても苦しい時代が続きました。
「食べ物にも困る状況でしたが、父は、食べ物を我慢してでも、漆を買って、制作を続けていたそうです。売れるかどうかではなく、つくり続けずにはいられなかったのでしょうね」(小夜子さん)。
苦しい時代を耐え抜いて、鎌倉彫に光が差したのは、戦後、高度成長期に入ってからのことでした。
高度成長期、空前の鎌倉彫ブーム到来。多忙を極め、二代目・小夜子さんも家業へ
小夜子さんは、展覧会を見て回ったり、海外に行って芸術や文化に触れたりしながら知見を広げ、作品づくりに活かしています。
「高度成長期に入ると生活にゆとりが生まれ、鎌倉彫はお稽古事として人気に火が付きました。知名度が上がると作品を求める人も増え、制作が追いつかなくなるほどでした。だから、家族総動員で、職人さんたちにも手伝ってもらっていました。私も、美術学校に通いながら手伝いをしていて、自然とこの道に入って、今に至ります」(小夜子さん)。
小夜子さんは、伊勢神宮や鶴岡八幡宮など由緒ある神社に寄贈する作品を手掛けながら、一方で、現代のライフスタイルに合うモダンなデザインの鎌倉彫も多数生み出しています。
「この頃は、いかにも鎌倉彫という重厚感のあるものが似合う家が少なくなりました。でも、日常的に鎌倉彫を使っていただきたいと思い、現代のインテリアに合うようなモダンなデザインのものをつくるようになりました。使い勝手のよさも大切にしています」(小夜子さん)。
「飾皿 -円舞-」直径45cm
使う時に邪魔にならない位置に彫りを入れるのはもちろん、お盆はグラスをのせてもすべらないように工夫して彫りを入れるなど、用途に合わせて、使うシーンを思い浮かべながら作品をつくっているそうです。
使いやすさを考慮したデザインも魅力。
幼少期から工房を手伝う三代目・史子さん。茶道の世界に魅了され茶道具を手掛ける
史子さんは日常使いできるモダンなデザインのものから、茶道具まで手掛けています。
高度成長期から鎌倉彫の人気はしばらく続き、史子さんが生まれてからも一翆堂は忙しい日々が続きました。
「小さい頃から、工房をちょこちょこ走り回って、木地を運んだりしてお手伝いしていたんですよ」と小夜子さんは懐かしそうに目を細めます。
「私も、お手伝いするうちに、自然とこの仕事をするようになりました。三代目なので、すべて揃っていて恵まれていると思いますね。20代の頃から茶道をしていますが、それもあって茶道具もつくるようになりました。茶道はとても奥深い世界です。祖父と母が築いてきたものがなかったら、ここまでたどり着けなかったと思います」(史子さん)。
「宝尽くし棗」直径7cm
鎌倉彫は分業制。三代かけて築いてきた、職人さんたちとの信頼関係
店舗では、愛好家向けに木地の販売も行っています。壁面には美しく成形された木地がズラリ。
技術はもちろん、木地の仕入れ先も、職人さんたちとのつながりも、三代かけて築いてきました。
鎌倉彫は分業制のため、木地師、指物師、彫師、塗師とさまざまな職人が携わります。高齢化のため、年々職人が減っており、特に木地の調達は、資材不足も重なって困難な状況になっているといいます。
しかし、一翆堂には貴重な北海道産の桂材で、熟練の職人が加工したという美しい木地が揃っています。
北海道は寒いため、木もゆっくり育ちます。だから、目が細かくて彫りやすい木地になります。しかし、木地が成形できるように育つまで300年かかります。
北海道で採れた樹齢400年以上の桂で作った木地。元々は倍以上の太さの幹でした。
現在、国産の桂材でこの大きさの木地を切り出すことはできないそうです。
どんなに細々とでも、続けていくことが大事
「こんな料理を盛り付けたら映えるね」「ここに模様を入れてしまうと、料理の邪魔になるね」などと話しながら、日々、制作。
「ピークの時は1つのものを100枚も、200枚もつくっていました。今は、材料を揃えるのだけでも大変で、とても対応できません。でも、細々とでも続けていかなくてはなりません。先人達がここまで繋げきたのだから、私たちも繋げていかなくてはいけませんよね」(小夜子さん)
今回のコロナ禍で、鎌倉彫も影響を受けました。今でこそ、賑わいを取り戻した鎌倉ですが、一時は閑散としてしんと静まりかえっていました。お店を訪れるお客さんも減り、売り上げも減り、苦しい時期が続きました。
「でも、いつもと同じような生活を続け、毎日、決まった時間に作業場に座って、淡々と彫り続けました。そうせずにはいられなかったのです」(史子さん)。
「2人で海辺を散歩したり、気分転換をしながらね」と、2人は顔を見合わせて穏やかに微笑みます。
「戦時下はもっと大変だったと思います。でも、祖父が食うや食わずでも、彫り続けた気持ちがなんとなくわかった気がします」(小夜子さん)
「鉛筆で下書きしていますが、木の目を見て、どう彫っていこうかと考えながら彫り進んでいきます」(小夜子さん)。
三世代続く一翆堂、およそ80年の間には、よい時代もあれば、苦しい時代もありました。でも、どんなに苦しく先の見えない時代も、淡々と彫り続けてきました。
時代とともに変化をし、それぞれの個性を活かしながら。
よく、伝統を守りながら変わり続けることが大事だという話を聞きます。お2人のお話を伺いながら、まさにその通りなのだと思いました。でも、気負ったところをまったく感じさせなくて、自然体でやっているような雰囲気がとてもすてきだと思いました。
取材協力:一翆堂 木内小夜子・史子
撮影:小野順平
執筆:瀬戸口ゆうこ