千葉県・房総半島に伝わる、漁師たちの晴れ着「萬祝(まいわい)」。藍染めの長着や袢纏の背や裾には、鶴や亀など縁起物や、その土地で獲れた魚の図柄が大胆かつ色鮮やかに染め抜かれています。
工房に展示された、萬祝染の袢纏やのれんなど。
その起源は江戸時代後期。桁外れの大漁の時に、船主から船子へ御祝儀として反物が送られ、揃いの着物に仕立てたのが始まりです。もともと、「萬祝」とは大漁祝いのことを指しましたが、いつしか、大漁祝いの晴れ着をそう呼ぶようになりました。
「萬祝は独自のデザインが魅力です。でも、自分としては、何よりも、その歴史に魅力を感じています。身分の高い武士でも、文化の中心だった町人でもなく、漁師が育んだ芸術というのはすごいことだと思います」と語るのは、鴨川萬祝染 鈴染(かもがわまいわいぞめ すずせん)の4代目・鈴木理規さんです。
アメリカで出会った、祖父の大漁旗が運命を変えた
鴨川萬祝染 鈴染の4代目・鈴木理規さん。色さし作業中。
学生時代、理規さんはバックパックを背負って世界中を旅して回っていました。その中で、海外の友人たちがみな、母国のことを誇らしげに語っていたのが印象的だったといいます。
「日本人は自分の国のことすら知らない人が多いと感じていました。そして、『自国のこととして、世界に誇れる仕事がしたい』と思うようになりました」
家業のことも頭をよぎりましたが、一般企業への就職も決まっており、継ぐつもりはなかったといいます。でも、迷いもありました。そこで、大学生最後の夏、アメリカ横断の旅の途中に、萬祝と縁があるモントレーに立ち寄ることにしました。
実は、100年以上前、萬祝はモントレーに渡っていました。明治30年代、アワビ漁に成功した千倉(現南房総市)の出身者が大漁祝いの記念に、現地で萬祝を配ったのだといいます。「モントレー万祝」と呼ばれ、2着が現存。日系アメリカ人会館にあるギャラリーに展示されています。
鈴染2代目の幸祐さんが手掛けた「モントレー万祝」の復刻版。
背中には日米の国旗、裾には潜水ヘルメットと「Monterey USA」の文字が染められています。
そこには、南房総で染められた大漁旗も展示されていました。
「現地で、大漁旗を見て驚きました。そこにあるのは知っていましたが、まさか祖父がつくったものだとは」(理規さん)
異国での運命的な出会いがきっかけで、理規さんは、家業に入ることを決意しました。
漁師の晴れ着としての萬祝は70年前に消える
祭袢纏用につくられた萬祝。
しかし、萬祝染をとりまく環境は厳しいものです。
漁師の晴れ着としての萬祝は、70年ほど前に姿を消しています。
昭和になると、ライフスタイルの変化もあり、大漁祝いに萬祝を配る習慣がなくなりました。ピーク時には、一度の注文で200~300反も納めており、それがなくなると、染屋も大打撃を受け、次々に廃業しました。鈴染は、大漁旗や手ぬぐいをつくっていたため、存続できたといいます。
反物を広げて色さしをします。効率を考え、1色ずつ、順繰りにさしていくそうです。
現在、萬祝の伝統技術を受け継ぐのは、鈴染を含む2軒しか残っていません。そんな世界に飛び込むことに不安はなかったのでしょうか。
「これで食べていかなければならないというわけではないですから。ダメでも死ぬわけじゃないし、スキルを身につければ、どうやったって生きていけます」と理規さんはニッコリ笑っていいます。
そして、こう続けました。
「伝統だから残さなくては、と思うと身動きがとれなくなります。まず、商売として成り立たせないと意味がないですよね。大切な部分を残しながら、現代のライフスタイルの中で、多くの方が『使いたい』と思えるものをつくっていくことが大事なのではないでしょうか。そうすれば、自然と続けられると思うんです」(理規さん)
どこに身を置いても一緒。大切なのは、自分がどうするかということ。
そんなふうに聞こえました。
3代目は祭袢纏、4代目はファッションとしてのニーズを掘り起こす
父であり3代目の幸祐さん(左)と理規さん(右)。
漁師の晴れ着としての萬祝を作ったのは2代目が最後です。しかし、理規さんの父であり3代目の幸祐さんは、「自分も萬祝がつくりたい」と、祭袢纏としての用途を見出しました。
幸祐さんは、まず、自分でつくった萬祝を着て、地元の祭りに出たそうです。そこから、徐々に評判が広がり、今では全国から注文が来るようになりました。祭袢纏のほか、よさこい踊りの衣裳や、還暦祝いに赤い萬祝をつくることもあるそうです。
龍が描かれた萬祝染のちゃんちゃんこ。
そして、理規さんもまた、新しい萬祝の形を模索しています。バッグやハンチングなど、萬祝柄を染めたファッションアイテムも提案。普段使いできるカジュアルさが魅力です。
萬祝染のクラッチバッグ。ジーンズにTシャツなどカジュアルな服装にも似合いそうです。
有名セレクトショップでも販売されました。
「まずは、自分が欲しいもの、使いたいものをつくっています」と楽しそうに話す理規さん。
その日、自身のコーディネートもすてきでした。萬祝をプリントしたTシャツに、祭袢纏をリメイクしたパンツを合わせ、萬祝染のサコッシュを肩にかけていました。
理規さんの後ろ姿。肩に掛けたサコッシュのモチーフは国芳の猫。理規さんがデザインして染めたもの。
萬祝はSDGs。誇るべき地元の文化として子ども達に伝えていきたい
こちらの工房で体験教室も行っています。天井に干してある萬祝染は退職祝いの贈答品。切り離して額装し、贈られます。
鈴染では、体験工房で子ども向けの染色ワークショップを行うなど、文化の伝承にも積極的に取り組んでいます。
「モノが溢れる時代だからこそ、歴史や文化などその背景とともに萬祝の魅力を伝えていきたいです。まずは、次世代を担う子ども達に、誇るべき地元の文化として伝えていきたい。そして、日本全国に、ゆくゆくは海外へもその魅力が伝えられればと思っています」
江戸時代、房総では綿花の栽培が盛んで、肥料には、干鰯が使われていました。その木綿に染織し、袢纏に仕立てて漁師たちが身につけるのです。
「萬祝はまさに、房総の豊かな風土が育んだ地産地消の工芸です。今どきにいうとSDGsですよね」と理規さんは誇らしげにいいます。
取材協力:鴨川萬祝染 鈴染
取材・文:瀬戸口ゆうこ
撮影:諏訪貴宏