「今でも1時間に130個はつくれるね」というのは、“最後のろくろ師”といわれる名工・山内砂川さん。今年で91歳。14歳で修行をはじめ、以降77年にわたり、ろくろを回し続けている。
ろくろ師・山内砂川さん。長谷元窯 六兵衛陶苑工房にて。
「砂川さんは、1日500個くらいつくりますからね。普通の人なら、できて100~200個くらいでしょうね。私も、京都でろくろ師の修行をしてきましたが、砂川さんには到底及びません」と話すのは、赤津焼の窯元である長谷元窯 六兵衛陶苑(以下、六兵衛陶苑)27代目の加藤大吾さんです。砂川さんは、加藤さんの祖父の代から六兵衛陶苑で働いています。
長谷元窯 六兵衛陶苑27代目の加藤大吾さん。
茶華道の影響を受け発展した赤津焼。高度な技術を持つ職人が分業により生産
六兵衛陶苑工房。
赤津焼は、愛知県瀬戸市東部にある赤津町周辺で焼かれる伝統工芸。その起源は、奈良時代と古く、安土桃山時代、茶道の発展により、志野、織部、黄瀬戸(きぜと)、御深井(おふけ)など、今に伝わる各種釉薬の技法が確立されました。製造は、ろくろ、絵付けなど、それぞれの工程を専門の職人が担う分業制で行います。
赤津焼で人気の織部。焼成後に「栃渋入れ」をすることで、鮮やかな緑を発色させます。
これにより貫入によるひび模様も生まれます。
「うちの窯は、ろくろは砂川さんで、絵付けもベテランの職人さんがいます。私は、絵付け以外なんでもやります。職人が減り、何でもやらざるを得ないのです。ろくろもできますが、砂川さんがいる限り出る幕はありません(笑)。ゆくゆくは後を継がなければと思っていますが、できるだけ長く、砂川さんに続けていただきたいですね」(加藤さん)。
ろくろで成形した生地を天井で乾かします。砂川さんは力仕事もこなします。
「まだまだ元気。腰も曲がってないし、目もしっかりしてるよ。メガネもかけないし、老眼もないからね」と、砂川さんは朗らかに笑います。
14歳で弟子入り。1日300個つくれるようになってようやくろくろ師として認められる
削りの作業中。
砂川さんが、六兵衛陶苑に弟子入りしたのは14歳の時。父親が亡くなり、中学校を辞めて働かなければならなくなったためです。しかし、おいそれと、ろくろの前に座らせてもらえません。朝7時から、残業して22時まで働いて、そこからろくろの練習です。
「20歳くらいで、1日300個つくれるようになって、やっと、ろくろ師としてスタートラインに立たせてもらいました。1日300個といっても、残業後につくった数です。師匠の仕事を目で見て覚えて、誰もいなくなってからやってみる。それはもう、厳しい時代でしたね」(砂川さん)。
高さ60cm以上の細長い花瓶「つる首」。誰にも真似できない領域へ
砂川さんがろくろを挽いたつる首の花瓶。
ただ数をこなせばいいわけではありません。200個でも、300個でも、すべて同じ形に揃えて仕上げなければなりません。
例えば、徳利は手づくりが難しいとされていますが、「すべて同じ容量に仕上げないと、飲食店には卸せません。あちらのお客様のお酒は200ml、こちらのお客様は220mlなんてわけにはいかないでしょう」(砂川さん)。
「職人は、お客様の注文に、なんでも応えられないといけない。注文がきたらなんでもやる。難儀だよ。でも、注文を断ったことはないね。なんでも挑戦していかないと。できないものはなかったよ。他の人ができないと匙を投げたものも、私のところに持ち込まれてくるからね。日本一になってからはひっぱりだこです(笑)」と砂川さんは誇らしげにいいます。
40代の時には、数を競う全国選抜手ろくろ競技会で、2位以下に圧倒的な差をつけて日本一に。75歳の時には、高さ60cm以上の細長い花瓶「つる首」が高く評価され、卓越した技能者『現代の名工』にも選出されています。細く長い首を歪みなく、まっすぐに仕上げるのはまさに神技。速さも技術も誰も真似できない領域です。
陶芸を極めるために茶華道を学ぶ
作業の合間にインタビューに答えてくれる砂川さん。
砂川さんは、茶華道の師範でもあります。師範になってから57年続けたそうです。
「茶華道を知らない人が茶道具や花器はつくれないでしょう。だからはじめたの。そうしたら、いつの間に、師範になって弟子に教えるようになって。お茶会に花会も開いたね。花は買うんじゃなくて、山で採ってきて生けたんだよ。大変だったけど楽しかったね」(砂川さん)。
ろくろの仕事に生かすためにはじめた茶華道。しかし、やるからにはとことん突き詰め、とことん楽しみます。
驚異的な速さのろくろ。“最後のろくろ師”の手技に見惚れる
指サックとマニキュアで肌と爪を保護。途轍もない数をこなすため、素手で仕事をすると、爪や皮膚が削れてしまうという。
取材の日は削りの作業中でした。砂川さんは、次々と、リズミカルにうつわの底を削って、トントンと底を叩いて厚みを確認して仕上げ、その作業を淡々と繰り返します。インタビュー中、受け答えしながらも、その速度は変わりません。後日、撮影していた動画を見直しましたが、早回しで見ているのかと錯覚するくらい、驚異的な速さでした。ずっと見ていたくなるほど、無駄のない美しい所作でした。
厳しい仕事を積み重ね、膨大な数をこなすことでつくられた“神の手”。陶磁器の国内生産額が10年余りで6割以上減っているいま、砂川さん以上のろくろ師が出てくることはきっとないでしょう。
六兵衛陶苑の日常。いつもろくろの前に砂川さんがいる。
「すごい速さでしょう?これが六兵衛陶苑の日常。子どもの頃から、変わらない景色です。できるだけ長く、この景色を見ていたいですよね」と加藤さんは目を細めます。
取材協力:長谷元窯 六兵衛陶苑工房
執筆:瀬戸口ゆうこ
撮影:諏訪貴宏