栃木県の那須高原では、古くから、地域に自生する篠竹を使ったカゴ・ザルづくりが行われています。篠竹とは、竹と名が付くものの笹の仲間であり、長さ約6m、直径1~2cmほどの細長い植物です。真竹ではなく篠竹を使った工芸は全国的にも珍しく、関東では那須高原でしか見られません。肥沃な土地で育った篠竹は硬く、加工には適していませんが、那須高原のように寒冷で痩せた土地で育った篠竹はしなやかで粘り強く、加工に適しているといいます。
農家の副業として製造。暮らしに寄り添う篠竹工芸

那須町工芸振興会後継者育成事業講師の大野伸江さん。
「昔は、農閑期の副業としてカゴ・ザルづくりが行われていたそうです」と教えてくれたのは、那須町工芸振興会後継者育成事業講師の大野伸江さん。昭和45年頃までは約200戸の生産農家と20人ほどの専業職人がいて、遠方から買い付けにくる業者も多かったといいます。
つくられていたのは、米研ぎザル、味噌漉しザル、うどん揚げザルなど台所用品や、肥料を入れる肥ザル、芋を洗うメカイ、腰にぶら下げて収穫物を入れるハケゴなどの農業用品などの暮らしの道具。軽くて扱いやすいうえ、丈夫で長持ちするため重宝しました。

那須の篠竹工芸は、底の四つ足が特徴的。
「那須の篠竹工芸の特徴は、底に見られる四つ足。これがあるおかげで、水捌けと通気性がよくなります。反対に、内側に出っ張りがあるザルもあるんですよ。米研ぎザルは、お米が窪みに引っからないように内側に突起があります。職人さんたちが、自分たちが日々使う中で、より使いやすいように試行錯誤して今の形になったのでしょうね」と大野さん。

米研ぎザルは内側に突起がある。
ちなみに、通常ザルは外側を皮にしていますが、米研ぎザルやうどん揚げザルは、内側が皮になっています。皮の方が水を吸いづらく、より水捌けがよくなるようにという工夫です。
後継者不足を解消するために育成プログラムがスタート

栃木県認定の伝統工芸士であった故・平山一二三さんが編んだニ斗ザル。
この大きさのザルを編むには熟練の技が必要だという。
しかし、プラスチック製品が普及し、安価な海外の竹細工が輸入されるようになると、篠竹細工の需要は激減。それに伴い、つくり手もどんどん減っていきました。近年では、高齢化が進み、後継者不足はいっそう深刻なものに。
そこで、今から12年前、那須町工芸振興会が、後継者育成事業をスタートさせました。4年間で初級・中級・上級・復習クラスを履修する育成プログラムが組まれており、4年目になると、振興会の会員として友愛の森工芸館で自身の作品を販売することがでる仕組みです。
「私は5期制で、8年目ですね。講師として教えることもありますが、まだまだ満足いくレベルには達していません。昨年亡くなった、平山一二三先生がつくったものと比べると、自分の力のなさを実感しますね。先生のはね、目がきめ細かくてとても美しく揃っているんですよ」
小さな鎖でもいい。大事なのは続けていくこと

友愛の森工芸館内にある工房の様子。見学可能。
栃木県認定の伝統工芸士であった平山一二三さんは、昨年末に91歳で亡くなるまで、現役で篠竹工芸の職人として制作を続け、後継者育成にも尽力していました。農業を営む傍ら、篠竹工芸でも収入を得ていた両親のもとで育ち、自身も同様に生きてきました。
「数をつくらないと上手にならないよ。うどん揚げザルなら最低50枚つくらないと」と平山さんはよくいっていたそうです。
「でも、無理しないで、急がないでゆっくり数を重ねていきます」と大野さん。
40代、50代から育成プログラムを受ける人も多く、せっかく、上達しても腰を痛めたり、腱鞘炎になったりして続けられなくなった人もいるそうです。
「大事なのは続けること。小さな鎖でいいと思うんです。その1つ1つ繋げていくことで、那須の篠竹工芸が続いていけばいいなと思います」。
里山の保全も材料づくり含めて、伝統工芸を守っていくということ

後継者育成事業で管理する、篠竹が自生する里山。
「私たちは、技術の継承だけでなく篠竹が自生する里山の管理も会員全員で行なっています。伐採も、材料となるヒネづくりも、みんなで協力して行います」。
篠竹の水分が減る秋から冬にかけて伐採し、半年間、屋外で干し、梅雨前に室内の天井に上げます。それから、4つ割にして、1~2晩ほど水に浸してから、ヒネの厚みを削って均一に揃えます。

乾燥させた篠竹は、室内で一番乾燥している天井で保管(左)。ヒネを加工しているところ(右)。
「里山の保全も材料づくり含めて、伝統工芸を守っていくということだと思います。それに、私のように、山を持っていない移住者も、里山を共有させてもらうことで篠竹工芸が続けられます。1人じゃ、とてもできないですよね。仲間がいるから大変なことも楽しくできます」と大野さんはにっこり笑います。
後継者育成プログラムへの参加者は移住者も少なくない。地元出身者も、移住者も協力して篠竹工芸の伝統を守っている。

工房に集まって篠竹を編む。先輩の職人から教わる様子も。
「地元の方のお話を聞くのもおもしろいですよ。『宿題をやっていると、囲炉裏のそばでパタパタと音がしていた。父が篠竹を編んでいるんだ。教わっておけばよかったな』なんて、昔話を聞かせてくれる人もいて。なんかいいですよね」。
その土地にある素材を使い、日々の暮らしの中で、名もなきつくり手たちによって生み出されてきた篠竹工芸。ライフスタイルが変わり、ひと昔前とは違う形ではあるが、今も確かに、地域に根を下ろした人々によって、日々の暮らしの中に生き続けている。担い手はまだまだ少ないが、ゆっくり無理なく。小さな鎖を地道に、着実に繋いでいく。
取材・文/撮影:瀬戸口ゆうこ















