日本工芸探訪~ルポルタージュ~

2018年12月17日

海外でも注目される気鋭の江戸切子職人 三代秀石 堀口徹の5ルール

ニューヨークやパリ、ロンドンなどでも作品を発表し、海外からも注目を集める、気鋭の江戸切子作家・三代秀石 堀口徹さん。

江戸切子というと、矢来文や菊籠目文など伝統柄がびっしりとあしらわれた華やかなデザインを思い浮かべがちですが、堀口さんの作品はシンプルかつミニマル。一見、「江戸切子らしくない」と感じてしまうほど個性的で現代的なデザインです。

多くの人々を魅了してきた堀口さん。その斬新なアイデアはどのように生まれるのか、どんな考えのもとものづくりに取り組んでいるのか、その思考法について迫ります。

【ルール1】見たり聞いたりしたことのエッセンスを組み合わせて江戸切子流に落とし込む

「グラス・縦糸」。普段使いできるようにシンプルなデザインに。

堀口さん 自分は、ゼロからイチをつくり出すことは得意ではありません。ただ、いろんなものを見たり聞いたりするなかで、「この要素が面白いな」と思ったことを切り取って組み合わせ、江戸切子流に落とし込むことは得意だと思います。

例えば、焼物の世界には「育つ」という言葉があります。水分を吸ったり乾燥させたり、使うことで歳月とともに風合いが変化することを指すのですが、これを江戸切子に取り入れられないかと考えました。ただ、江戸切子は、完成したときが最高点なんですよね。欠けた、割れたというのは大敵ですし、カットに汚れが入ったり、くすんだりしてもいけない。

そこで、せめて、自分の作ったものが使い手のもとで最高点になるようにできないかと考えました。ならば、自分の手元では未完成に仕上げておこう、余白や空白をとっておこうと。

使い手の手元で光が入って、影ができて、器が完成する。飲み物が入って、口元に傾けた時に、景色や触感でグラスが完成する。そういうことならできるかも知れないと思いました。

あとは、まだ答えは出ていませんが、結露ありきで最高点に持って行く方法はないかということも考えています。ガラスの煌めきをかき消す結露は切子の大敵。でも、料理店では、一番良い状態で料理を出したいので、器を冷やしておいたりするんです。すると、結露がでてきますよね。これが今、私が抱える宿題です。

【ルール2】素晴らしい画家は最後にひと筆入れない。喜ばれるからといって、やりすぎない。

堀口さん 神戸の料理屋の植むらさんから、セコガニを盛り付ける器をご依頼いただきました。そこで、“育む器”をご提案させていただきました。1年ごとに加工を加えて、3年かけて完成するというものです。

1年目


2年目


3年目

最高地点をずらして、完成してく経過も楽しんでもらえるようにしたんです。これも、焼物を「育てる」ということろから着想を得ました。

でも、これは、3年で完成としました。多くの方から「来年も続けて」というお言葉もいただきましたが、潔く終わりにしました。

素晴らしい画家は最後にひと筆入れないといいます。また、歌舞伎役者の中村勘三郎さんも、「お客さんが沸いたからといって、調子に乗ってやっていくと芸が荒れる」と話されていました。俯瞰的に見て、ちょうどいいところで辞めることも大切です。

【ルール3】必要なものは取り入れる、不要なものは思い切って省く。必要になればまた加えればいい。


「よろけ縞・そば猪口」。
縞模様のカットをわざとよろけさせてカットし、竹の文様を描く。

堀口さん 伝統工芸を続けていく中で大切なのは、“残す”“加える”“省く”ということではないかと思います。いいものはそのまま“残す”、今までなくても必要なものは“加える”、必要がなくなったら思い切って“省く”。例えば、新しい道具ができて、それが良ければ、今まで使っていた道具を捨てても良いと思います。時代が変わって、後から必要だと思えば、また付け加えればいいんです。

きっと、先人たちはそれを繰り返してきたからこそ、お客様に求められ続けているんだと思います。それで、一定期間続いているものを見て、「あれって伝統工芸だよね」って言われるようになったのではないでしょうか。

ただ、難しい問題として、自分のいる位置によって、「伝統」のとらえ方は違うのではないかと思います。扱っているものによって周期は違いますが、時代のうねりというものがあると思うんです。

江戸切子に関していえば、歴史を調べていると、どうも30~50年周期で、大きな流れとしてデザインが変わっているようなんですよね。これは、1人の職人が、職人として人生を注ぐ年数に近い。つまり、この期間にちょうどはまる年代の人に、「伝統ってなんですか」と尋ねると、「変わらないこと」と答えると思うんです。でも、私たちの世代は、ちょうど過渡期に居るんじゃないかと思っています。だから、こういう答えになると思うんです。

【ルール4】うねりの中で変わらないものが本質。驚かせて魅了できれば、それが江戸切子。

工房の梁には、コーポレートメッセージがちりばめられている。

堀口さん 歴史を勉強して、どういう経緯でここに至っているのか知ると見えてくることがあります。江戸切子もそうですが伝統工芸には、流行り廃りがあるんです。それがわかると、いまやるべきこと、やらなくていいことがわかったりします。デザインとか、色とか、形とか、用途とかは表面的な部分なのだという意識が出てきました。

一方で、うねりの中で変わらなかったことは、もしかして本質なのではないかと思います。ガラスを加工して、使い手を驚かせて魅了する。それに関しては、時代が変わっても、まったく変わっていない。だから、何かつくる時も、驚かせて魅了できれば、江戸切子としてありなんだと思えるようになりました。

これは、私の憶測なんですけど、長い歴史を持つ伝統工芸ほど、このうねりのスパンが長いのではないかと思うんです。成熟されていくと変わらなくてはいけないことが少なくなっていくので、歴史が古ければ古いほど、長期間変わらないのではないかと思います。もしかしたら数百年単位かもしれません。

江戸切子は、歴史でいうと200年足らず。まだ、黎明期なのではないかと思います。だから、うねりのスパンが短いのではないかと思うんです。

【ルール5】根底にあるのはクオリティの追求。ガラスへの向き合い方は師匠に教わった。


メーカーとのコラボ商品で使用する腕時計のベゼルを加工しているところ。

堀口さん 私が師事したのは、祖父にあたる初代秀石の一番弟子である二代目秀石でした。私が江戸切子の職人になろうと決意した時、祖父はすでに他界していたんです。

師匠とはかなり年が離れていて、おじいちゃんと孫のような関係でしたね。怒られたこともなければ、否定されたこともありません。

師匠から学んだことは、ガラスへの向き合い方。その姿を見て学ぶことが多かったです。技術も習いましたが、それほど多くはありません。技術はむしろ、同業界の先輩方から教わったり、独学で学んだりして習得していきました。

印象に残っているのは、師匠の晩年のこと。師匠は繊細で緻密なカットを得意とする人でした。88歳だった師匠は、目の衰えを感じていて、自分の目の調子がいい朝の15分、昼寝後の15分しかガラスを切らなかったんです。それも、きっちり15分ずつ。

15分経ったら、目が突然見えなくなるわけではないですよね。クオリティを追求して、そこできっぱり作業をやめるって、自分を律していないとできないと思うんです。まして、12歳から職人で、30~40代の時は、36時間ぶっ通しでガラスを切ったという武勇伝のある師匠です。自分が同じ年になった時に、果たしてできるのだろうかと思います。

 

江戸切子協同組合によると、江戸切子の定義は「1.ガラスであること」「2.手作業であること」「3.主に回転道具を使うこと」「4.指定された区域(江東区を中心とした関東一円)で生産されていること」といいます。たった、これだけです。

堀口さんは、「極端な話、ガラスを加工して、使い手を驚かせて魅了することができれば江戸切子」だと語っていました。

「江戸切子らしくない」といわれる堀口さんの作品。しかし、お話をうかがううちに、その本質に粋が宿る「まさに江戸切子」なのではないかと思うようになりました。

 

取材協力:堀口切子
堀口切子オンラインショップ

撮影:櫻堂(諏訪貴宏)

職人圖鑑編集部

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