生き方

2019年08月22日

時代とともに進化する職人群像。父・上川宗照が率いる三男一女の伝統工芸一家「日伸貴金属」

かつて、銀は、全国各地の貨幣の鋳造所“銀座”で取引きされていました。しかし、江戸時代中期になると、幕府は取り締まりを強化し、江戸以外での鋳造を禁止します。

すると、全国各地にいた銀細工の職人“銀師(しろがねし)”が江戸に集まってきて、日用品や武具、仏具など多彩な銀製品を生み出しました。これが、現在の「東京銀器」のルーツです。

今に伝わる技法は、平田家を祖とするといわれ、初代・禅之丞から九代・宗道まで代々継承され、多くの弟子達によって守られてきました。

東京都台東区にも、その系譜を受け継ぐ職人たちがいます。二代目・上川宗照さん率いる「日伸貴金属」です。平田宗道の一番弟子だった、初代・上川宗照さんの跡を継ぎ、三男一女とともにその看板を守っています。

今回は、伝統工芸一家、上川家の皆さんにインタビュー。それぞれに個性溢れる5人の職人たちのものづくりに対する思いを伺いました。

時代とともに柔軟に変わりながら、変わらない江戸の職人たる矜持があるから、今があり、未来がある――。

【Part1宗伯さん(長男)】体に刻まれた幼い頃の記憶。祖父が奏でるものづくりのリズム

長男の上川宗伯さん。この道26年。

――この道に入ったきっかけを教えてください。
宗伯さん 子どもの頃、銀師だった祖父の膝の上で、銀を叩くポンポンっという音を聴いていて、それがとても心地良いリズムだったんですよね。祖父は、私が3歳の頃に亡くなりましたが、幼い日の記憶を体が覚えてます。この記憶が、私の銀師としての原点です。

今、同じ仕事をするようになって、「あの音は、この時の音だったんだな」とわかりつつあります。ポンポンっという、子守歌のような優しい音は、平らな物をより平らに、より丁寧に叩くならしうちの音でした。

でも、この音に到達するには、まだまだですね。年代を重ねていくと出てくる音なのかな。若いと若い音、中堅は中堅の音。それから、孫が膝の上に座って出せる音は、そういう経験がないとわかりませんよね。だから、ただつくればいい、ただ形にすればいいということではないと思うんです。

自分がものをつくって満足するだけでよい時代ではない

1枚の円い銀を叩いて成形したコップ。左手は、成形途中のもの。

――伝統工芸の衰退が叫ばれる中、「東京銀器」の職人も減っていると伺いました。この伝統を継承していくためにどんな取り組みをされていますか。
宗伯さん 職人として銀器づくりに取り組みながら、「東京金銀器工業協同組合」青年部部長として、隔月で勉強会を開催したり、商工会議所を通して海外視察に行ったり、業界全体の普及・発展にも取り組んでいます

私が、この道に入ったのは26年前のことですが、今は、当時とは、まったく状況が変わってしまっていすよね。当時は、30~40人くらいの先輩たちが現役で活躍していましたが、今はほとんど引退され、職人自体も減っています。

だから、当時の規模で、同じようなことができるかといったら違いますよね。今だからできることは何か、ここから先につなげていくためにやらなければならないことは何か、それぞれが考えなければならないと思います。自分がものをつくって満足するだけでよい時代ではありません。

純銀の「アイススプーン」を開発。現代のライフスタイルに合わせた“用の美”

純銀のアイススプーン。国内外のお客さんから注文があるという人気アイテム。

――今の時代に合ったものづくりに取り組んでいるということでしたが、具体的にどんなことをされていますか。
宗伯さん 銀は高級品で、敷居が高いイメージがありますよね。でも、それでは、多くのお客様に手に取ってもらえません。そこで、当社では、純銀の「アイススプーン」を開発しました。銀は熱伝導率に優れているため、人の手の体温を素早く伝え、カチカチに固まったアイスも、触れた部分からさっと溶かしてしまいます。

このように、いろんな人に相談しながら、現代のライフスタイルに合ったものをつくっていっています。私たちは、職人であり、アーティストではありませんから、お客様に使っていただけて、なおかつ美しい伝統工芸品、いわゆる“用の美”を備えたものを、時代に合わせてつくっていくことが大切なんだと思います。

時代のニーズに合わせながら、本質や伝統的な技術・技法は変えない

銀器づくりの道具。大量に置かれているが、これはほんの一部。

――今後の展望を教えていただけますか。
宗伯さん 特にありません。というのも、それぞれの時代で、技術の使われ方は違ってくると思うんです。例えば、江戸時代、刀のつばを装飾している職人さんがいましたが、時代が変わって廃刀令が出ると、刀自体がつくれなくなってしまいました。

「うちは、これしかつくれないんです」となると、もうそれで伝統として潰えてしまいます。だから、暖簾を守るという意味では、本質だったり伝統的な技術・技法は変えずに、それぞれの時代に使っていただけるものつくっていくことが大事だと思います。

でも、それは自分が提案するものではなくて、やはり、お客様がいらして初めてつくれるものだと思います。そこで、生業として成り立つのだと思うんです。私が言っていることが正しいとは限りませんが、今の時点ではそう考えていますね。

【Part2宗智さん(長女)】伝統工芸の技法を使ったもので、皆さんに身近に使っていただけるものをつくりたい

長女の宗智さん。この道24年。

――この道に入ったきっかけを教えてください。
宗智さん 小さい頃から、小さいものをつくるのが好きで、短大の家政科に通いながら、雑貨をつくり委託販売をしていました。卒業後も、家業に入って事務の仕事しながら雑貨づくりを続けていたのですが、その中で、「自分らしいものづくりって何だろう」と思い、ルーツである銀師の仕事に興味を持つようになりこの道へ入りました。

――このバタフライモチーフのアクセサリーは、女性らしい繊細さと華やかさを感じます。ものづくりをするうえで、どんなことを意識されていますか。
宗智さん 私はおもに、雑貨感覚で身近に使えるアクセサリーを銀でつくっているのですが、伝統工芸だからとっつきにくいというものではなく、伝統工芸の技法を使ったもので、皆さんに身近に使っていただけて、心を豊かにしてくれるものをつくりたいと思っています。

女性だからかわいいものをつくるなど意識したことはないですが、ただ、つくるもの、見ているもの、着眼点は他の兄弟とは違うかなと感じている部分はありますよね。

兄弟のつながり、職人同士のつながりが職人である自分を支えている

宗智さんがつくった蝶バタフライのブローチとキーリング。バタフライモチーフのアクセサリーは、
糸鋸を用い穴が塞がらないように透かすという、透かし彫り技法が用いられています。

――職人の世界は、厳しい男性社会というイメージがありますが、大変なことはありますか。
宗智さん よく、職人というと「技術は見て盗め」というイメージがありますが、そんなことはないですね。

私は失敗したくないので、事前にいろいろ聞いて、実際にやってみて、それを見てもらったり、音で聞いてもらったりしてからつくりはじめます。作業をしていても、みんなが正しいと思っていない音がすると、兄弟たちがワーッと集まってくるんですよ(笑)。

職人同士だとプライドなどもあり、あれこれ言いづらいですが、兄弟でやっているから、率直にものが言えて、意思疎通がしやすいという部分はあると思います。

それに、台東区は女性職人のネットワークがあって、業種を超えてつながりがあり、お互いにフォローし合っているんですよ。

仕事や家庭とバランスをとりながら、新しい作品づくりにチャレンジしたい

今後の目標を語る宗智さん。

――今後、挑戦してみたいことなどはありますか。
宗智さん 今秋、伝統工芸のコンクールがあるので、作品を出展したいと思っています。大きいものをつくりたいですね。普段、仕事や生活に追われて、なかなかできないでいますが、家庭ともうまくバランスをとりながらやっていきたいなと思っています。

兄弟も、仕事の前後に、朝早くきたり、夜遅くまで残ったりして、作品づくりをしていますからね。

コンクールは、組合の先輩や、お客様に作品を見ていただいて、こういうところがいい、こういうところがよくない、こういうところが使える、使えないなど、客観的なご意見をいただける貴重な機会ですから、ぜひチャレンジしたいです。

【Part3宗光さん(次男)】師匠が簡単そうにつくっている銀器。なんで自分はできないんだろう。そう思ったのが、この道に入るきっかけだった

次男の宗光さん。この道22年。

――この道に入ったきっかけを教えてください。
宗光さん 実は、高校時代はサーフィンが好きで、プロサーファーになることが夢だったんです。銀師になるつもりはありませんでした。

でも、高校卒業前に、お金が稼ぎたいとアルバイト感覚で家業を手伝ったのをきっかけに、この道に入ろうと思ったんです。

師匠が、とても簡単そうに銀器をつくっているんですよ。でも、自分がやってみるとまったくできないんです。なんで、あんなに簡単そうにやっているのに、自分はできないんだろうって思って、そこから、だんだんと、ものをつくることの面白さに気づき、その奥深さに惹かれていきました。

――どんな作品をつくられるのですか?
宗光さん 海が好きなので、海や波をモチーフにしたものをよくつりますね。最近では、友人の結婚式に、波をあしらった乾杯用のシャンパングラスをつくりました。最初は、磨きがかかったきれいなグラスですが、時が経つにつれて色が変化し味わいがでてくるんですよね。これは、銀ならではの魅力です。そういったものを大切にしていきたいですよね。

取材の日に付けていたのは、宗光さん自身がつくったブレスレット。

日伸貴金属完璧は絶対にない。でも、それを追い続けていたい

宗光さんがつくったワイングラス。銀器で飲むワインは、口当たりも味も格別。

――この道に入って22年。納得のいくものはつくれるようになりましたか。
宗光さん 100%納得のいくものは今までまだできていないですね。完璧は絶対ないと思います。でも、それを追い続けるつもりで仕事をしています。

銀器づくりは、0.0何ミリという精度が求められるため、ほんのわずか力を入れすぎただけでも、そのもの自体がダメになってしまうこともあります。「さっきはこうだったから、次はこうしていこう」そんなことの繰り返しです。

それに、時代のニーズにあったもの、お客様が欲しいものをつくり続けていかなければなりませんから、日々、同じものをつくるというわけではありません。新しい形のものは常に技術を学ばねばならず、日々勉強だという気持ちでやっています。

――やはり、師匠の指導は厳しいですか。
宗光さん ものをつくるということに関しては厳しい目で見てくれているのかなと思います。ダメな物はダメ、いいものはいいとはっきりいっていただけます。

――ご兄弟の影響はありますか。
宗光さん 他の兄弟の方が自分より技術が高ければ悔しくて、「超えてやる」と思います。一方で、教え合ったりもして、お互いに技術が高めあったりもしています。とても良い環境だと思いますね。

【Part4宗達さん(三男)】父が仕事をする姿に憧れて。気づいた時にはこの道を選んでいた

三男の宗達さん。この道22年。

――この道に入ったきっかけを教えてください。
宗達さん もともとうちは、1階が仕事場で、2階が自宅という環境だったんです。私は、末っ子で、お母さんっ子だったので、父と話すこともあまりありませんでした。幼い頃は、父がどんな仕事をしているのかもわかっていなかったですね。でも、夜中に仕事場で、父が銀をスー、スーって擦っている姿を見て、「かっこいいな」と思っていた記憶があります。

気が付いた時には、「この仕事をするんだ」と決めていたようで、小学校の卒業文集には「銀師になる」と書いていました。学校の勉強も、勝手に自分で、この仕事で必要なこと・不必要なことに振り分けていましたね。算数だったら、円周率は、設計をするのに必要だからちゃんとやっておこうというように(笑)。

最初の2年は、ただひたすら道具づくり。道具を知ることで、ものづくりの基本を学ぶ

銀器づくりの道具。金槌だけでも多種多彩。

――高校を卒業して、すぐにこの道に入られたそうですが、最初はどんなことをしたのですか。
宗達さん 最初の2年くらいは、山から木を伐ってきて、乾燥させて、加工して木槌をつくったり、ひたすら道具づくりをしていました。この頃は、木材屋さんがなくなってしまったので、木を伐るところからやらなければならないんです。道具をつくっていると、「この作業をするために、この道具が必要なんだな」など、わかってくるんですよね。

その後は、人間国宝の奥山峰石先生に師事して、5年ほど鍛金を学びました。師匠の指示で、兄弟がそれぞれ、いろんな職人さんのところに修業に出て勉強させていただいたんです。

もともと、東京銀器は、ヘラ絞りで形を作る職人、研ぎの職人、パーツをまとめる職人、バフ研磨加工をする職人などがいて分業制だったんですよね。でも、職人さんが引退して、跡取りがいなくなってしまう。すると、その担い手がいなくなってしまうというということになって。それならば、自分たちでやっていこうということになり、兄弟がそれぞれ学びに行きました。

おかげで、技術だけでなく、いろんなものの見方を学ばせていただきました。お客様に喜んでいただけるものなのかということを軸に、できあがりはどうなのか、そのこだわりは必要なのか、時代のニーズに合っているのかなど自問しながら、広い視野でものづくりに向かい合うことの大切さを学びました。

初めて、自分の作品をつくったのは、奥山先生に師事して4年目の時でしたね。お客様と話をしながらブラッシュアップしていきました。

寡黙な職人でもなく、好きな物をつくるアーティストでもない。目指すのは、お客様に喜んでもらえるものをつくる匠

化学変化で紫色に加工した銀。「銀は素材としての可能性も幅広い」と宗達さん。

――どんな職人を目指しているのですか。
宗達さん 現代の職人に必要なのは、技術だけではないと思うんです。特に、銀は柔らい素材なので、やかんも、コップも、アクセサリーも、置物も何でもつくれてしまいます。ピカピカに磨いて光沢を出したり、化学反応であえて黒くしたり、紫色にすることもできます。

表現の幅が広い分だけ、お客様の要望をしっかり聞いて、提案できる力が必要です。お客様に言われたことの2つ先くらいまで考えて、「こんなものができますよ」と提案できるようにしておかなければならないと思っています。

そのためには、技術だけでなく、広くアンテナを張って感性も磨かなければなりません。言われたものだけつくれますというのではダメですし、自分のつくりたいものをつくればいいというのもダメ。私は、黙々とものをつくる職人でもなく、アーティストでもなく、その間の存在でありたいと思っています。お客様に寄り添いながら、お客様の本当に欲しいものを見つけられる“匠”になりたいですね。そして、若い人たちに憧れられるような存在になれればと思っています。

【Part3宗照さん(師匠)】自分から子ども達に家業を「継げ」と言ったことは一度もない。ただ、その姿で見せただけ

師匠の宗照さんと、弟子である四男一女。

――4人のお子さんがみんな弟子入りしましたが、師匠から勧めたのですか。
宗照さん いえ、一度も、私から「継げ」と言ったことはありません。みんな自分からこの道を選びました。ただね、「やるとこんないいことがあるよ」というのはたくさん見せてきましたね。

――職人が減っていると叫ばれている中、お子さんが全員、弟子入りしたのはすごいことですね。
宗照さん この業界でも、景気が良い時は、300人くらい職人いましたが、今はだいぶ少ないですよ。職人の年齢も上がって、後継者もなく、今後は減っていくでしょうね。職人の家でも、自分の子どもに跡を継がせる人は何人もいません。「この仕事では食えないから、サラリーマンになれ」って言うんです。自分の子どもが継がないくらいだから、弟子なんか入るわけがないんです。

そんな中で、どう生き残っていくかということです。

時代が変わると、求められるものが変わってきますよね。私が若い頃は、与えられた物をいかに早くこなして納めるかということだけで良かったんです。でも、今はそういう時代じゃなくなりました。今の時代に合わせたやり方をしなければいけません。

何かあれば、家族会議で決めていく。自分がやれることは知れているから、皆の力で乗り越えていく。

江戸時代から代々使っているという道具もある。

――昔とはどう変わっていると感じていますか?
宗照さん 修業時代と大きく違うのは、インターネットの普及ですよね。このおかげで、メディアの取材なんかも入るようになって、日本中に放送されて、別世界になってしまった。

これから先も、どんどん広がっていくと思いますが、どうなるかはわかりません。その時に、どう対処するかということですよね。未来のことなんて、考えたところで夢の中の夢になってしまう。自分の年齢を考えると、あと20年、いや10年もできないでしょう。10年なんて、私のスパンで考えると、たいしたことできないなという感じ。でもなんかしたいけどね(笑)。

大きい話も入ってきます。その中の、1つでも2つでも、結びつけばいいですよね。空振りが多いんで。来たら来た時に、みんなで考えれば良いんです。家族会議でみんなで話します。私がやれることはたがが知れているから、みんなの力を借りたい。

お客様のどんな要望にも応えられるようにしておきたい。でも、本質に背くことはやらないという線引きも必要

師匠の宗照さん。16歳でこの道へ入り、今年で58年になる。

――反対に、変わらないことは、どんなことですか?
宗照さん つくるってことは同じですよね。弟子達には「自分で満足いくものをつくりなさい」と言っています。ダメだったら「ダメ」と言うし、よかったら、「いいんじゃない」って言う。ただ、それだけです。

簡単なことで、東京銀器っていう伝統工芸は、銀を使いなさいというのがベース。安いからと真鍮の板にメッキはダメ。銀は銀。それが基本なんです。

裏を返せば何でもできるんだけど、何でも要求があったとき答えられなきゃならない。何が来るかは、その時にならないとわからないけどね。「これは難しい」と思った仕事もあったけど、意地で「できる」と言ってやっちゃったりしてね。たまに、できる技量がなくても、「できる」と言っちゃうのもいるけど、それとはまた違うよね。

(ここで、長男の宗伯さんが話に加わります)
宗伯さん できないこともありますよ。例えば、仏具のお鈴をつくることがあるのですが、「コスパを下げたいから、究極に薄くつくってくれ」と言われても、それは「できない」と断ります。お鈴は、チーンと音を出すものですから、本来の機能を果たせないものはできないです。それに、叩いてふちが凹んでしまうような不良品も出すわけにはいきません。

できるけど、やらないという線引きはあります。のれんを守ってやっているんだから、ちゃんとお客様にいいものを届けなければなりません。

これが飯の種。どんなときも浮き足立たずに、地に足をつけて、やるべきことを一生懸命やる

仕事場でものづくりに打ち込む一家

――お子さん達が跡を継ぐにあたり伝えたいこと、大切にして欲しいことはありますか。
宗照さん 受け継ぐも何も、これが飯を食う種ですからね。ただ、1つ言いたいことは、人にだまされないようにということくらいかな。仕事を一生懸命やっている分にはそういうことはまったくないんだけどね。きちんとした品物を納めれば、毎月、お金が入って生きていけるわけだからね。

東京オリンピックがチャンス? 関係ないですよね。浅草寺の前辺りをマラソンが走るんじゃないの!?  というくらいに思っています。

――最後に、お聞きしたいことがあります。師匠はこの道に入られて、ご自分で「これは申し分のないものができた」と思うことはありますか?
宗照さん 16歳に入って、現在74歳で、この道58年ですが、一度も満足いくものなんかできたことはありません。仕事は、納得いかないことの連続です。気に入らなかったら気に入るように直すということの繰り返し。「これがいいんだ」って思ってしまったら、職人なんかやめたほうがいい。一生勉強ですよ。

――いかにも江戸の職人らしく、多くは語らない師匠の宗照さんでしたが、その言葉、1つ1つに、本当に大切なことが込められていました。その話に耳を傾ける、三男一女の弟子達のまっすぐな目がとても印象的でした。

それぞれに、個性を輝かせながら、師匠のもと、真摯に生業に向かい合う「日伸貴金属」の職人たち。伝統を守りながら、新しいことに挑み続けるその姿に、老舗が老舗たる由縁を感じました。

「東京銀器」に興味を持った方は、ぜひ、「日伸貴金属」を訪れてみてください。製作体験教室(要予約)も行っているので、その技術に触れながら、銀器の魅力を知ることができます。銀は、時と共に風合いを変え、味わいがでてきます。そんな、銀ならではの楽しみも教えてくれます。

 

取材協力:日伸貴金属
写真:諏訪貴宏(櫻堂)

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