日本工芸探訪~ルポルタージュ~

2022年02月07日

今も色褪せない100年前続くデザインも魅力。明治時代の豊田式自動織機が織り成す、ふんわり優しい伊勢木綿

ふんわり優しい肌触りで吸湿性にも優れた伊勢木綿。大胆でモダンな柄も、おしゃれ心をくすぐります。


伊勢木綿の反物は、色柄のバリエーションが豊富!「同じ柄の着物を着ている人が何人もいたら、お客様に申し訳ない」と、臼井織布では、基本的に、同じ色柄のものは二度とつくらないといいます。

しかし、「あれもすてき、これもかわいい」と、ときめきながらも、「私に、着こなせるかしら」などと少し心配に。

すると、「呉服屋さんでよく見る着物の柄と違うからイメージがつきにくいでしょう? うちでは、平気で大きい柄のものをつくるからね。でも、合わないわけはないんです。もともとは、100年前のデザインで、昔から愛用されていたんですから」と、三重県津市で唯一つ、伊勢木綿の製造を続ける臼井織布の5代目・臼井成生さんは自信たっぷりにいいます。

今に受け継がれる100年前のデザイン


臼井織布の5代目であり代表取締役の臼井成生さん。

唐山縞、布団縞、カルサン縞など、臼井織布でつくっているのは、全部、昔ながらの柄なのだといいます。例えば、カルサンというのはフランス語でズボンという意味に由来します。織田信長の時代に、ヨーロッパのズボンの縞の柄が入ってきて、「京都カルサン」「小浜カルサン」「大和カルサン」など、その柄を取り入れた織布が各地でつくられていたそうです。

「うちには、江戸時代から明治、大正の時代にかけての生地見本が資料として残っていて、すべて、それらを元にデザインを起こしています。目新しく見えるのは、昭和50年代に、一度、世の中から消えてしまったからでしょう。皆さん、馴染みがないだけなんです」


経糸・緯糸の本数などが事細かに記録されている色柄の見本帳。こちらの柄は、布団縞箱格子。

昭和50年代、アジア諸国で安価な木綿がつくられるようになると、伊勢木綿のみならず、全国の木綿の産地は大打撃を受けました。東京や京都の問屋街から、木綿問屋が次々と消えていったといいます。当時は、伊勢木綿の織元も4~5軒ありましたが、1つ、また1つと廃業し、とうとう臼井織布が残るのみとなりました。

明治時代の豊田式自動織機から紡ぎ出される独特の風合いの綿布


工場に並ぶのは、明治時代に製造された豊田式自動織機。

臼井織布では、今も、明治時代に製造された豊田式自動織機で木綿を織っています。

「昔は手織りでしたが、次第に織機の自動化が進んでいき、当社では、豊田佐吉が発明した、日本初の動力織機を導入しました。最初は木製で壊れやすく、より頑丈な鋳物製に改良されたといいます。うちでは、それが今も現役で動いています」

工場には30機ほどの自動織機が並び、ガシャンガシャンとリズミカルに音を響かせています。会話が聞き取れないほど大きな機械音が、なぜか心地よく耳に響きます。

「それは、心拍と同じリズムだからだといわれています」と臼井さん。手織りと同じ速さで、1分間で織り上がるのは約3cm、一反約13mを織りあげるにはほぼ1日かかりるそうです。最新の織機なら一瞬で織り上がる長さです。しかし、この速度だからこそ、独特のふんわりとした肌触りに仕上がるといいます。


伊勢木綿は「単糸」という繊維に撚りをかけた、わたに近い柔らかい糸で織るため、現代のスピードの早い織機では切れてしまい織れないといいます。

工場には、職人さんが、機織りの様子を見張っています。中には、臼井さんが生まれる以前から勤めている熟練の職人さんもいるそうです。経糸が切れたら繋いで、緯糸がなくなったら補充して、織り目が整っているか目配りしています。

古い機械なので壊れることもあります。しかし、生産中止になっているため買い替えることもできず、直しながら使っています。


織機の部品が保管されている倉庫。廃業した織元などから使わなくなった織機やその部品を譲り受け、大切に保管しています。

「自動織機といっても、基盤もベアリングも使ってないんです。紐で結んであったりして、全部からくりなんですよ。部品の生産も終了しているため、壊れた織機の部品を集めて取っておいて使ったり、なければ自分たちでつくります」

新時代へ。一度は消えかけた伊勢木綿が再び日の目を浴びるまで


臼井さんの息子の良貴さん。大学卒業後、帰ってきて家業に入りました。志のある若いスタッフも集まってきているそうで、この先の展開も楽しみです。

伊勢木綿、唯一の織元となった臼井織布。なんとかのれんを守り続けてきたものの、苦しい状況が長年続いたそうです。

日本の繊維産業が落ち込んだ昭和50年代、臼井さんは、大学を出て、東京でシステムエンジニアとして働いていました。先代は、廃業を考えていたので帰ってこなくてもよいと言っていたそうですが、お母様から帰ってきて欲しいと請われ、地元に戻ってくることに。戻ってきてからは、システムエンジニアの経験を活かして、大手電機メーカーの下請けをしていました。

「でもね、その仕事がつまらなくて。それで、小さくても面白いものをつくりたいと思って家業を継ぐことにしました。パジャマやシャツをつくって大手通販で販売してもらったり、いろんなことを試みました。両親はデパートの催事に出掛けたりしてましたね。ちょこちょこ売れるんですが、それでもたかだか知れてます」

臼井織布では、ブランドとのコラボ商品の他、オリジナル商品も開発。店頭販売もしています。

苦戦が続きましたが、臼井さんは、「伝統工芸として保護されるのではなく、産業として存続させていかなければ意味がない」と、生き残る道を模索。近年は、京都のテキスタイルブランドとコラボレーション商品を展開し、現代の感覚を反映した雑貨が人気を呼んでいます。その雑貨を通して伊勢木綿の名前も知れ渡り、着物を誂えたいというお客さんも増えてきたそうです。

織り上がった伊勢木綿は、一度水通しをし、陰干しをします。木綿は水に通すと縮むため、先に水に通して縮めておくためです。

木綿は、江戸の庶民の普段着でした。肌触りが良く保温性にも優れ、洗濯しても縮まず扱いやすいからです。それに、価格もお手頃でした。

江戸時代から続く、臼井織布の伊勢木綿も、着心地が良くてお手入れも簡単です。洗濯ネットに入れて、自宅の洗濯機で洗えます。

しかも、一反3万円以下ととてもリーズナブルです。

普段着の1枚に、伊勢木綿の着物なんていかがでしょう。
男性用にもすてきです。シャツに仕立ててもおしゃれ!

お気に入りの反物を探すのも、宝探しのようでワクワクします。

取材協力:株式会社臼井織布
撮影:諏訪貴洋(櫻堂)
執筆:瀬戸口ゆうこ

職人圖鑑編集部

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