日本工芸探訪~ルポルタージュ~

2019年12月04日

長崎オランダ坂「観海べっ甲店」。ぽってり優美なべっ甲細工ができるまで

ぬくもりのある装飾品たち。個性的なまだら模様や、艶やかでぽってりとした飴色、そして黒。べっ甲の色合いは一つとして同じものはありません。独特な風合いを持ち、美しさと気品をまとうべっ甲は、いつの時代も多くの人たちの心を魅了してきました。

日本における、べっ甲細工の技術が伝来したのは江戸時代のこと。貿易港であった長崎の出島を通して、オランダ船で材料となるウミガメの一種「タイマイ」が輸入されたことで、長崎を中心に広くつくられるようになりました。

宝船や小槌等をかたどった縁起ものの置物、帯留め、女性のかんざしやこうがいなど、繊細かつ優美なべっ甲細工は、やがて、京都、そして江戸まで広まり、大名や商人、花街の人々の間で流行したといいます。

長崎の伝統工芸として、現代に伝わるべっ甲細工。その技術を受け継ぐ職人、「観海べっ甲店」の観海安幸さんにお話をうかがいました。

何枚もの甲羅を重ねて圧着することからはじまる。べっ甲ができるまで。

「観海べっ甲店」のべっ甲職人・観海安幸さん。

べっ甲細工は、つくりたい柄をイメージして、使用する材料を選ぶことから始まります。まだらの多い背中側、飴色の腹側など、使う部位によって、柄が変わってくるのです。そして、選んだ材料を何枚も重ね合わせて、接着剤などは一切使わず、熱と水のみで圧着します。

ツメの部分。

甲羅の背中の部分。

甲羅の内側にできた塩の結晶の柄「水もく」。

「1つ1つに紙やすりをかけて傷をきれいに取った後、重ねたら、水を含めて、熱した鉄板の間に挟んで、万力で圧縮をかけて熱で接着して平らにするんですよ。亀の甲羅はゼラチンなので、熱で溶けてくっつくんです」(観海さん)。

その後、貼り合わせた材料に型を充てて裁断線を描き、糸鋸で切り出していきます。形ができたら、磨いて艶を出して完成です。緻密な仕事になるため、観海さんは、歯医者の治療機器を使って研磨しているそうです。

糸鋸でくりぬいているところ。

べっ甲を研磨して、艶を出す。

「べっ甲は磨くと、ほら、こんな風に艶が出てくるんですよ。不思議でしょう」と観海さんは笑顔で、磨き上がったべっ甲を見せてくれました。

磨きをかけたべっ甲。リスのモチーフが可愛い。

観海さんは、デザインから、甲羅の裁断、万力打ち、彫刻、磨き、組み立まで、すべての工程を1人で仕上げるそうです。すべてを手がけられる職人は数少ないといいます。工場で育った職人は分業で仕事をしているためです。

この道60年。30年の修業を経て、独立後は奥様と二人三脚で店を営む

観海さんがつくった、べっ甲張りの木彫りの招き猫。これだけのものをつくれる職人は少ないという。

観海さんがこの道に進んだのは、およそ60年前のこと。師匠のもとで30年修業し、30年前に独立したそうです。

「別にね、べっ甲をやりたいわけじゃなかったんですよ、女手一つで育ててくれた母親に親孝行したくて、弟子入りして手に職をつけようと思ったんです。結局、親孝行はできませんでしたけどね。

弟子時代は給料なんかなく、朝7時から夜11時まで働き、銭湯に行く日だけ10時に終わる。休みも月に1回だけ。ただただ食べさせてもらうだけでした。今では考えられないですよね。師匠にはいろんなことを教わりました。厳しかったですね。でも、厳しくなかったら続けてこられなかったと思いますね」と、観海さんは微笑みます。

現在は、修業時代に一緒に働いていたという奥様と二人三脚で「観海べっ甲」を営んでいます。奥様は、お店で接客を担当しています。

眼鏡、ピンブローチ、時計……、奥様が身に着けている装飾品は、すべて観海さんの作品です。ひと目見て、思わず「わぁ素敵」と声をあげてしまうほど優美ないでたちでした。観海さんが作るべっ甲細工の素晴らしさを誰よりも知っているのが奥様なのだと思いました。

やがて消えゆく運命に。べっ甲細工のいま

材料となるタイマイの甲羅。国内に流通しているものを融通し合っているそう。

独立して以来、観海さんは、ずっとお1人で製作されているそうです。お弟子さんを取らないのかと尋ねると、

「もう材料がなくなるし、材料の値段も高騰している。いいものだからと高価なものが売れる時代じゃないからね。

若い人も、弟子入りしたところで、たいした給料は出ないだろうし。将来つくれなくなるかもしれないという状況では、誰もやりたがりませんよね。

あとは、自分がどれだけやれるかってことだけ。体次第ですね」(観海さん)。

べっ甲細工は、やがて消えゆく運命にあります。

現在、タイマイは、ワシントン条約で国外からの輸入が禁止されているため、原材料はわずかに石垣島で養殖されているものと、禁止前にストックされたものしかないためです。

張りべっ甲という、べっ甲をなるべく使わないよう工夫されたべっ甲製品もあります。エポキシ樹脂の表面にべっ甲を張り込んだものですが、最近では、型に流し込んだだけのものもあるといいます。あの、お土産物屋でよく見る、リーズナブルな黄色いべっ甲です。しかし、本べっ甲の艶やかさには到底及びません。

また、職人も減っているといいます。

「70歳半ばの職人が多く、60歳以下はほとんどいないですね」と、観海さん。万力打ちなど体力を使う仕事のため、いつまで続けられるかという懸念もあるそうです。

「観海べっ甲」で出合った愛らしいべっ甲細工

べっ甲のかんざし。一番上は磨く前、その下は磨いた後。手前には、ウサギや犬など動物が下描きされている。

「観海べっ甲」の店内には、ペンダント、ブローチ、ネックレス、イヤリングなど、様々なデザインがあり、若い人でも思わず手に取ってみたくなるモダンなべっ甲細工もたくさん並べられていました。

しずく型のピアス。

「今は、ピンブローチやペンダントなど小物がよく売れますね。ピアスやかんざしは若い方もお好きですよ。大きいものは値段が少し高いのでご年配の方がよく買われます。ペットの犬や猫、ウサギなどをモチーフにしたブローチ等の注文もありますよ」と、奥様が作品を案内してくださいました。

べっ甲のかんざし。母から娘へ、受け継いで使う人も。

かんざしに目が留まると、

「花嫁衣装で使うべっ甲のかんざしは、“亀は万年”といわれるように大変縁起の良いものです。母から子、そしてまたその子へと長く使えますよ」(奥様)。

世代超えて伝えられるよう、願いを込めた一品に心が温まります。
やがて消えゆくべっ甲細工。お二人とそんなお話をしながらも、そこには、悲壮感も気負いもなく、ただ、ゆったりとした雰囲気が流れていました。何より、べっ甲細工のお話をしている時のお二人は、とても楽しそうで、誇らしげでした。

笑顔で語る観海さん。

「食っていけないから辞めようと思ったことは一度もないんですよね」と、その言葉にお2人で30年間歩んできたという月日に思いを巡らせずにはいられません。

巷には、べっ甲風のデザインも多く溢れかえっています。でも、ここで見た、本物のべっ甲は、艶めかしくて温かい。一つの仕事をただひたすらにやってきた、その経験がべっ甲細工をこんなにも美しく輝かせるのでしょう。

「甲羅のように固く、長く生きる」という意味を持つ大変おめでたいべっ甲細工。熟練の職人の手で磨かれた技術で生み出されるぬくもりのある装飾品たち。

大切な人への贈り物を探しにまた長崎を、オランダ坂近くにある「観海べっ甲店」を訪れたいと思うのでした。

 

取材協力:観海べっ甲店
執筆:松林美樹
写真:諏訪貴洋(櫻堂)

職人圖鑑編集部

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